いつから青い?横浜・氷川丸の「謎」 日本郵船が情報求む

 ミナト横浜のシンボルであり、貨客船時代の黒と白の塗装を復元した船体で親しまれている氷川丸。係留後は船体を何度も塗り替えられ、1980年代はブルーと白のペンキで塗られていた。しかし、その期間やブルーを選んだ理由は判然とせず、氷川丸を所有する日本郵船は情報提供を呼び掛けるなど調査に乗り出した。

 関係者の話を総合すると、海の教室と宿泊施設を兼ねた観光船として61年に横浜市中区の山下公園前で再スタートした際、船体は明るいグリーンと白色に塗装された。煙突の色は途中でグリーンや黒色に変わったが、船体は80年代までグリーンのままだった。

 当時の運営会社が91年に発行した『氷川丸マリンタワー30年史』には、「88年12月に氷川丸の船体色をこれまでのマリンブルーから本船現役客船時代の船体色(黒と白)に復元した」と記していた。88年12月までの間に船体がブルーに変わっていたことになる。

 日本郵船歴史博物館(横浜市中区)の学芸員遠藤あかねさん(38)は「ブルーの塗装に関する資料が乏しく、いつから塗られたのかは分からない」と首をかしげる。同館が所蔵し、撮影時期が不明だった横浜マリンタワーから写した青い氷川丸のカラー写真を改めて調査。その結果、84年に船内にオープンした常設展示場「マリンヒストラム」が確認できたことで同年以降の撮影と特定した。

 80年代半ばに船体がブルーだったことを裏付ける写真は横浜みなと博物館(同市西区)にも保管されていた。同館の前身で、横浜マリンタワーにあった横浜海洋科学博物館が85年1月9日に撮影したリバーサルフィルムには船体がブルーと白の2色に塗られた氷川丸が鮮やかに写っていた。

 学芸課長の志澤政勝さん(66)は「いつからブルーだったというのは分からない。当時の刊行物の掲載写真などからの推定すると80年代前半からではないか」と腕を組む。

 なぜ、鮮やかなブルーを船体色に採用したのか。氷川丸第28代船長の金谷範夫さん(67)は「当時は夜景を楽しめるビアガーデンや船上結婚式を行っていた。横浜を代表する観光名所として目立つ必要があったのでは」と推測。2016年に国の重要文化財に指定された氷川丸の歩みを市民と分かち合いたいと話す金谷船長は「青い氷川丸の写真や思い出があれば寄せてほしい」と話している。

 情報提供などは、日本郵船歴史博物館☎045(211)1923。

船体と煙突がブルーと白色に塗られた氷川丸=1985年1月9日(横浜みなと博物館提供)

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