印象は「アメリカ帰りの愉快な親戚」 DJ村上春樹はどこまでも自然体だった

 「村上レディオ」。そんな少し低いトーンのタイトルコールが8月5日夜、ラジオから聞こえてきた。世界的人気作家の村上春樹さんが初めてDJに挑んだ、TOKYO FM系列の番組「村上RADIO」。めったに聞く機会のない肉声で次々と紹介した、ジョギングをするときにいつも聴いているという音楽には、村上さんらしいこだわりや生活感覚がにじんでいた。番組を聴いたアラフォー世代の文芸担当記者2人が、そこから浮かぶ村上春樹さんの現在について自由に語り合った。

▽反戦歌をオープンカーで

瀬木広哉(以下、瀬木) ジャズやクラシックにも造詣の深い村上さんだけど、選曲はいわゆるポピュラーミュージックがほとんどでしたね。番組全体の印象はどうでした?

森原龍介(以下、森原) こちらが身構えているときほど、村上さんは“外して”くるなあと思いました。3年前、福島県で開かれた文学のワークショップにサプライズゲストとして登場した際に、どんな話を繰り出すのかと思っていたら、まずしたのが牡蠣フライの話。そういうずらし方ができる人ってラジオっぽい。DJは意外なほど板についていました。

瀬木 ツイッターを見ていたら「話し方が小説の登場人物そのものだった」みたいな声もあったし、この番組で初めて肉声を聴いた人も多いでしょうね。デビュー当時の村上さんはジャズバーを経営している「会いに行ける作家」だったと言われているけど、僕らの世代にとっては、どこか神秘のベールに包まれた存在。でも、作品の登場人物にも通じるちょっと神秘性を帯びた語り口も含めて、自然体の村上さんなんだなあと感じました。

森原 選曲もちょっと“外して”くる感じで、ザ・ビーチ・ボーイズという自分のルーツに触れて、「サーフィン・USA」をかけはしたけど、まるまる1曲かけたのはそのリーダーであるブライアン・ウィルソンのディズニー音楽のカバー。意外性を持たせつつ、マニアックにもならない、ほどよく大衆に開かれている印象でした。

 個人的に面白かったのがエリック・バードン&ジ・アニマルズ「スカイ・パイロット」ですね。ベトナム戦争下での反戦歌だと紹介して、当時この曲がラジオから流れてくると「ひりひり」したと話すんだけど、今はそれをオープンカーで屋根を開けながら聴くのが好きだと。そうやって政治性を脱臭させる感覚が、政治の季節が終わってから書き始めた作家である村上さんらしい。

瀬木 選曲には団塊世代らしさもあるんだけど、それこそ「ノルウェイの森」の主人公のワタナベ君のように、村上さんは決して革命運動の熱に同調したタイプではないですよね。そういう人が消費文化真っ盛りの1980年代に大ベストセラー作家になっていく。団塊世代的な感性を内に持ちつつ、それを消費文化の中で開花させていった足跡ともつながりますね。

森原 「ノルウェイの森」を書いていた頃、ペット・ショップ・ボーイズやデュラン・デュランばかり聴いていたというエピソードも意外ですよね。もっと深刻そうな音楽を聴いて書いていそうな作品なのに、意外にもあの時代らしい華やかなパーティーチューン。

▽オタクに通じる感性?

瀬木 ジョギングをするときに聴く音楽というテーマではあるものの、何を流すかは相当練ったんじゃないかな。音楽好きの人って「こんな曲、知ってる?」「このカバーバージョンはさすがに知らないでしょ?」みたいにして人を楽しませるのが好きじゃないですか。選曲の多くが有名な曲だけど、原曲ではなくてあまり知られていないカバーだったところに、いかにも音楽好きらしい遊び心がある。

 村上さんって、スタイリッシュで都会的なイメージを長く持たれてきたけど、僕は現代のオタクに通じる感性を持っている人だと感じていて。翌朝聴くレコードを選んでから寝るという逸話もあるけど、実は村上さんには、今のようにオタクという言葉が市民権を得るずっと前から、オタク的な偏愛やニッチなこだわりを肯定し、高らかに表明してきたという一面があるんじゃないかと。

森原 村上さんがベストセラー作家に登りつめていった80年代は、オタクカルチャーが拡大していった時期でもある。村上さんとオタクって、一見離れて思えるけど、たしかに表裏なところはあるのかもしれなくて、両者に共通点があるとしたら、若さを背負っている点ですよね。来年には70歳になるとは思えないほど村上さんはしゃべり方も感性も若いし、運動を続けているので肉体的にも若い。今回のラジオも、普段はアメリカに住んでいて、たまに親戚の集まりに来たら愉快な話をしてくれるおじさんと会っているような感じがして(笑)。団塊世代にはいつまでも若々しい人が多いけど、じゃあ、いつ若さを手放すのかっていう問題が今後は出てこざるを得ない。僕らもおじさんの入り口にいるわけだけど、いつまでも先行する世代がおじさんとして居座っているのは、どこか圧迫感がある。村上さんの作家活動の今後という点では、その辺も気になります。

瀬木 ただ、村上さんの場合、団塊世代的な引き裂かれは感じられないですよね。個別ばらばらな人を世代で一緒くたに語るのはよくないんだけど、一般的な団塊世代のイメージってあるじゃないですか。政治の季節に熱狂し、内ゲバの果てに挫折して、大学を出たら一転、企業戦士となって経済成長の道をひた走った、ぐらいの。それは下の世代からネガティブに語られることもあるし、本人が負い目を抱えていることもあると思うけど、政治の季節とも日本の権威的な文壇とも距離感のあった村上さんにはそういう屈託がない。自力で獲得してきた文化的な豊かさや作家としての評価、心身の若々しさが端的に自己肯定感に結び付いている感じがして、ある意味、健全ですよね。

森原 経済成長と青春期がシンクロしていた世代を除いて、その後の世代は自己肯定感が決して高くない。バブル世代は一時的に豊かさを享受しただろうけど、どこか虚しさも漂う。団塊世代への批判はよく見聞きするけど、物質的な豊かさよりも、精神的な充足に対するやっかみの感情も強い気がします。もちろん村上さんの小説の主人公にも不満はあるし、欠落も、孤独も抱えているけど、一方で、周囲によって動かされない安定した何かを内に持っている。そういう登場人物の内面の有り様は珍しいですよね。

▽“神話”解体の試み

瀬木 たしかに、自己承認を求めて右往左往するような人は出てこない。村上さんの作品が多くの読者を引きつけるのは、読者がそういう主人公と自分を同化させることで、少なくとも読んでいる間は、人間の本質的な孤独や世界の暴力の中でも揺らがない自己みたいなものを感じられるからかもしれないですね。それが、世界的にも特異なほどの人気の要因の一つなのかもなあ。

森原 10月に「騎士団長殺し」の英語版が刊行されるらしいけど、伝統と権威ある「ニューヨーカー」誌が抄訳とインタビューを載せている。そんな破格の扱いを受ける作家が、果たして他にどれだけいるのか……。

瀬木 まずいないでしょうね。それだけの作家がああやって、親しげに肉声で語りかけてきて、パンクバンド「ラモーンズ」のジョーイ・ラモーンのソロ曲みたいな、意外な泥臭い曲をかけたりする。そう考えると、やっぱり贅沢な番組だったなあ。

森原 先日ある場所で、村上さんが80年代に小説を載せていた雑誌を見せてもらったんだけど、それが「宝島」で。紙質も悪いし、良い意味で雑然とした誌面なんですよ。日本の文壇で冷遇された時期を経て、ノーベル文学賞候補だと言われ始めてから神秘のベールをまとうようなイメージがあるけど、もともとはああいうカウンターカルチャー的なところから登場したんだなあと再認識しました。そのベールも本人がまとったのではなく、外が付けたもの。ラジオは、村上さんがその“神話”を解体しようとする試みの一つなのかもしれないですね。

瀬木 新作を出すとアマゾンに酷評するレビューがずらっと並ぶのも、ちょっと不健全な状況ですよね。ある作家を好きな人も好きじゃない人もいるのは普通のことだし、同じ作家の作品でも、前作は好きだったけど今作は苦手だなみたいなことって当然ある。最高傑作ぐらいの作品じゃなきゃ許されないみたいな空気は窮屈ですよね。

 これまでも村上さんは公開インタビューを開いたり、ウェブ上で読者と交流したり、いろいろやってきたけど、肉声を広く届けられるラジオは良いアウトプットじゃないかな。ちょっと情けないエピソードを紹介したり、やっぱり女の子をめぐる話が好きだったり、等身大の村上さんがいましたよね。

森原 作中の意味深な比喩とか、登場人物の少し気取ったような口ぶりとかを好まない人もいるけど、多くの人がそれを楽しみながら消費してきたのも事実ですよね。実はエッセーでは取るに足らないようなこともけっこう書いているんだけど、「ノーベル文学賞候補!」みたいになると、そういう一面にあまり目が行かなくなってしまう。ラジオも含めて、もう少し総体としての作家像に目を向けて、作品を楽しんだ方がいいのかもしれませんね。

瀬木 「村上RADIO」の第2弾が10月21日夜に放送されることになりました。「僕もなかなか楽しかった」と村上さんも乗り気のコメントをしていて、今回は特にテーマを設定しないとのこと。どんな選曲になるのか、楽しみですね。

© 一般社団法人共同通信社