【平成の長崎】ハウステンンボス開業 桁違いの施設 押し寄せる人 平成4(1992)年

 ちょうど日付が変わるころだった。開門前の来園に備え、開放していた駐車場の様子を見に行くと、早くも車が入ってきた。「明日はどれくらい来るんだろう」。駐車場などの交通対策に携わった佐藤正富さん(58)=当時(31)=は、期待と不安が入り交じった心境をこう振り返る。
 1992(平成4)年3月25日。佐世保市のハウステンボス(HTB)が、グランドオープンを迎えた。開門前には、若者や家族連れら千人以上が列をつくった。
 当時の新聞記事には、一番乗りの男性は「16日間待っていた」とある。午前9時。入国ゲートが開くと、待ちに待った来園者が、どっと押し寄せた。“千年の時を刻む街”が誕生した瞬間だった。
 当日の園内警備を担当した永井洋人さん(49)=当時(22)=は、とにかく人が多く忙しかったこと以外、記憶に残っていない。長崎オランダ村でも働いたが、規模は「桁違い」。馬車を使ったパレードでは、あふれた人が列に入り込まないよう気を配った。
 その年の末には、米人気歌手のマイケル・ジャクソンさんが来園。翌年にも再び訪れた。永井さんが勤務していた店舗にも足を運び、ボディーガードに囲まれたマイケルさんを間近で見た。居合わせた人たちは「マイケル、マイケル」の大合唱。「スーパースターも訪れ、注目のテーマパークで働いているのは誇りでもあった」。永井さんは当時を懐かしんだ。
 HTBはオランダ語で「森の家」を意味する。かつては県が造成した工業団地だった。152万平方メートルの広大な敷地に、2千億円超を投じた。オランダの街並みを再現したほか、土を入れ替えて木々を植え、全長6キロの運河を整備。草木も生えていなかった土地が見事に再生した。
 このほか、海水の淡水化や生活排水の高度処理も取り入れた。環境面を重視し「徹底した本物志向」を突き詰めた。それは従業員にも向けられた。「とにかく本物志向をたたき込まれた」と佐藤さん。ハード面がしっかりしているからこそ、スタッフのスキルなどソフト面を磨き上げることを目指した。
 しかし、開業前年にバブルが崩壊した影響もあり、赤字決算が続いた。年間入場者数も96(平成8)年の380万人をピークに伸び悩んだ。華やかに開業したHTBがこれから激動の道を歩むことになるとは、この時はまだ誰も想像できなかった。
(平成30年9月14日付長崎新聞より)
  ◇   ◇   ◇
【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

オープン初日、多くの入場者が訪れたハウステンボス=佐世保市

© 株式会社長崎新聞社