ソフィア・コッポラ、ヴァレンティノそして椿姫

ローマ歌劇場来日公演の「椿姫」(撮影:長谷川清徳)

 4年ぶり、通算4回目となるローマ歌劇場来日公演は9月9日、ヴェルディの「椿姫」で幕を開けた。22日まで、プッチーニの「マノン・レスコー」との2演目で計7公演を行う。上野の東京文化会館で行われた「椿姫」初日を聴いた。

 今回の「椿姫」は2年前に初演された新しいプロダクション。国際映画祭で数々の賞を受けている精鋭ソフィア・コッポラ監督が演出し、ファッション界の大御所ヴァレンティノ・ガラヴァーニが衣装を担当したということからみて、歌劇場としても相当な力を入れているのは間違いない。その印象を一言でいえば、コッポラの清新とヴァレンティノの華麗が無理なく調和してリアルな心理ドラマを成り立たせた、ということになるだろうか。そして、女主人公のヴィオレッタを胸に迫るせつなさで演じたソプラノ、フランチェスカ・ドットが、その制作意図にぴたりとはまって美しい光を放った。

 ヴィオレッタはクルティザンヌである。クルティザンヌは「高級娼婦」と訳されることが多いが、身持ちに多少あやしい点こそあれ、多数の崇拝者を持つ社交界の花で、ファッションリーダーでもあった。パリの流行はクルティザンヌに始まり、貴婦人たちがそれをまねることによって広まったという一面がある。ヴァレンティノにとって、ヴィオレッタのような、華やかでありながら高貴な心を持つ女性を、自らのデザインで表現することはやりがいのある仕事だったろう。ちなみに、彼は2008年1月のパリ・コレクションを最後に一線から退いていたから、表舞台に立つのも久しぶりだった。それだけ「椿姫」に魅力を感じていたということにもなるだろう。

 ソフィア・コッポラがフランシス・フォード・コッポラ監督の娘であることはよく知られていると思うが、コッポラ一家は音楽とも関わりが深く、ソフィアの祖父は作曲家、大叔父は指揮者だった。ソフィアは今回、音楽について学ぶにあたり、「椿姫」を指揮した経験のある大叔父に会って話を聞くことから始めたという。

 第一幕はヴィオレッタの宏壮な屋敷で開かれている宴会の場。この夜、彼女は恋人となる男性と出合う。ヴィオレッタのシックな黒い夜会服には、緑色の長いトレイン(引き裾)がついている。彼女が二階へ続く大階段を上るとき、また下りるとき、この裾の全体が客席に見えるような仕掛けになっている。そう書くと、大げさな衣装、わざとらしい演出に思えるかもしれないが、決してそのようには感じられなかった。このオペラでヴァレンティノとコッポラが目指したのは、それとは反対に、伝統的でありながら、自然で、新鮮な舞台だと思う。歌手陣にも不必要な身振りやくどい歌い回しはなかった。それだけにこの第一幕は、あっさりしているといえばあっさりしているが、その分、第二幕以降のドラマ性を際立たせることになる。

 第二幕の第一場は郊外の別荘に移る。愛し合う二人の暮らし。ガラスで囲まれた温室のような部屋、その外に広がる田園風景。ヴィオレッタは初めて知った真実の愛の喜びを謳歌するが、恋人の父の懇願によってそれを突然あきらめなくてはならなくなる。ドットの歌唱がその絶望を深く浮き彫りにする。声を張り上げることなく、ひたすら声に心を込めることによって、感情がこんなにも伝わるものなのか。

 第二幕の第二場は、一転して、ヴィオレッタの友人の屋敷。心ならずも身を引く気持ちを固めたヴィオレッタは、真っ赤なドレスを着て夜会にやってきた。ご存じの方も少なくないと思うが、赤はヴァレンティノの十八番である。1991年、創業30年を記念してローマで行った特別展示会の記者会見には筆者も出席したが、その時、ヴァレンティノ自身の口から「明るく繊細なヴァレンティノ・レッドこそ、最も重要な私の色だ」という自信に満ちた言葉が語られた。現役最後のパリコレでも、フィナーレにはモデルが赤のドレスで勢ぞろいした。

 ヴィオレッタが着た赤のドレスは、ギャザーによってスカート部分に左右非対称な膨らみを持たされている。まるで、彼女の心の動揺を表すかのように。だから、このドレスは決然とした赤ではなく、内に複雑なものを抱えた赤であるように見える。

 そして第三幕は寝室。死を迎えるヴィオレッタ。最後の最後で恋人と再会し、生きる気持ちがよみがえったと思った瞬間、彼女は息絶える。この、いささか唐突なクライマックスにおいても、コッポラの演出は繊細で納得のいくものだ。そのために、思わず涙を誘われるような真実味が感じられた。

 ローマ歌劇場の「椿姫」はこのあと、12日、15日、17日に東京文化会館で公演がある。「マノン・レスコー」は16日が横浜の神奈川県民ホール、20日と22日が東京文化会館。 (松本泰樹・47NEWSエンタメ編集デスク)

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