『オブジェクタム』高山羽根子著 存在を証明する術はまるでないのだ

 かつては、明白に覚えていたはずなのだ。あのとき、あの人に言われた、あの言葉。そのときの服の色。誰ちゃんと誰ちゃんが味方でいてくれて、誰ちゃんは冷たい目でこっちを見ていた。この瞬間のことを、決して忘れないと、胸に決めたはずだ。いつだって取り出しやすいところに記憶を置いて、その後の毎日を重ねてきた。うん、まだ覚えてる。まだ全然覚えてるよ。ちょっと前までは、そう思っていた。

 やがて、それを覚えていてもいなくても、特に差し支えがない日常が訪れる。そして、はたと気づく。かつて覚えていたかいなかったか、それすら思い出せない自分の記憶の頼りなさに。

 表題作『オブジェクタム』は、ある青年の述懐で始まる。物語の舞台は近い未来、貨幣が役割を終えた時代。ただの紙切れに執着していた前時代の人々のことを、主人公たちは理解することができない。そこで描かれるのは例えば、彼が少年だった頃、誰も知らないうちに貼り出されていた、謎の壁新聞。彼の祖父が重ねていた秘密の所業。父親が幼い頃に見た(と本人は思っている)移動遊園地。そのどれも、そこに存在していたことを、証明する術を彼は持たない。時と共に移り変わりゆく「記憶」でしかない。その「記憶」が正しかったかどうかも、証明する術がない。共にいた人も、見ている景色はそれぞれに違う。あれは、夢だったのか。自分だけが見た幻想か? その疑問符に答えてくれる者も、どこにもいない。

 2作目に収録の『太陽の側の島』は、うってかわって戦時中、一組の夫婦が交わした書簡集だ。南方の戦場で畑仕事を任じられた夫。彼の留守宅を守る妻。手紙を通して、互いを思いやる二人。しかし、それぞれの場所で、それぞれの日常に異変が起こる。妻は、国元が定かでない兵装の少年をかくまい、夫は、死者と生者が入り乱れる現地の祭りを体験する。そして妻は、ひとつの真理に思い至るのだ。

 巻末に収められた『L.H.O.O.Q.』は、妻に先立たれ、彼女の愛犬だけが手元に残った男の話である。さらにはその愛犬にも逃げられて、犬を探しながら彼はあれこれ思考する。今、自分と犬を結ぶ関係性は何か。妻はあのときあんなふうだったけれど、そもそも女という生きもの全体がそうなのか。「L.H.O.O.Q.」とはフランス語で発音すると「尻の熱い女」、すなわち性欲が旺盛な女性のことを示すらしい。妻との行為を思い出しながら主人公は、喪失とも獲得ともつかない独特な均衡を生きていくのだ。

(朝日新聞出版 1300円+税)=小川志津子

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