【評伝】野毛が生んだ大女優 樹木希林さん死去

 15日に75歳で死去した俳優の樹木希林さんの実家は“紳士の酒場”で知られる横浜市中区の「叶家」だ。戦後間もなく、闇市が並んでいた野毛に両親が店を開いた。風来坊が行き交う混沌(こんとん)とした町が、小さい頃から格好の遊び場だった。

■「私は神奈川出身」

 「人をずーっと見ていたの。あの時代の野毛の喧噪(けんそう)の中にいたことは、役者として私の財産だなって思う」

 中学生の時に東京から井土ケ谷(横浜市南区)に引っ越し、21歳で結婚するまで横浜で暮らした。「自分では、神奈川出身だと思ってる」。2017年、神奈川文化賞受賞のインタビューで東京都渋谷区の自宅を訪ねると、大切に保管してあった1枚の絵を見せてくれた。

 「夕日が沈んで、とってもきれいだった」。県庁が描かれた、セピア色の風景画。中学1年の時に、日本大通り(横浜市中区)にイーゼルを立て、黙々と描いたという。「野毛の界隈(かいわい)を外れると港の情緒があって、井土ケ谷には映画館もあったし、杉田(同市磯子区)の海岸にも遊びに行ってた。やっぱり私、神奈川で生きてたわ」と顔をほころばせた。

 15年度のヨコハマ映画祭では、それまでのスクリーンでの功績がたたえられ、特別大賞が贈られた。その一方、「私が一番大変だったのは、テレビの時代」ときっぱりと言い切っていた。「七人の孫」「寺内貫太郎一家」など、20代の頃から森繁久弥さんや向田邦子さんらと仕事を共にし、役者としての実力を磨いた。「演技論は無いけれど、あの時代に人間をどう魅力的に演じるのか、ものづくりの貯金をしたわね」と生き生きと語ってい

た。

■「物語が本物になる」

 「樹木さんが映画に出ると、物語が本物になる」。神奈川文化賞受賞時に審査員の評を伝えると、「それは、ありがとうございます」と柔和な眼光を鋭く光らせ、的確に評価された喜びを表した。

 是枝裕和監督ら国際映画祭の常連監督作品にも度々出演。「今はね、ここにこの色合いの人がいるなら、じゃあ何色になろうかなと、ただいるだけ。そうすると、また何か(賞)をくれるの。あら、悪いわねと」。今年、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した映画「万引き家族」では、入れ歯を外し、髪を伸ばした迫真の演技で作品にリアルな質感を与えた。

 野毛で培った観察眼が多くの作品に命を吹き込み、人間くささを見事に演じ切った役者道だった。

樹木希林さん

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