愛媛みかん発祥の地・宇和島市吉田町から①

宇和島市吉田町は、県内みかん栽培発祥の地として知られる。その歴史は江戸時代中期まで遡り、以来二百年以上、一級産地としての誇りを営々と築いてきた。そんなみかんの名産地が、かつて経験したことのないような豪雨災害に見舞われた。みかん園地が広がる山肌を激しい雨が削り、農道が至る所で崩落。散水や必要な管理が行き届かず作業が分断される中、収穫時期を間近に控え、復旧に向けた活動が懸命に続けられている。その吉田町で、被災直後から熱心な活動を続ける、二人の女性に話を聞いた。

予感の中、ただただパンを焼き続けた。
槇野洋子さんは、市内中心商店街で米粉パンの店を営む。激しい雨に見舞われた7月7日、SNSなどで伝わってくる情報で、身近なところで被害が出ているらしいことは知ったが、その実感は持てなかった。

槇野 洋子さん

その夜は地域で予定されていた夜市イベントに参加。その時点で十分でない報道の中にも、ただ事でないことが起こっている胸騒ぎの中、全く無駄になるかもしれないとは思ったが、翌朝に向けて支援のためのパンを焼き始めた。予感は当たっていた。夜が明け、焼き上げた百個ほどのパンを手に被災地吉田町へ向かうが、町内は各所で道路が寸断。とりあえず、たどり着ける場所へとそのパンを届けた。

パンを焼く槇野さん(米粉パンの店RIZ)

槇野さんの支援は翌日以降も続く。被災した人たちの状況に合わせて作り届けるものを変え、猛暑の中で、冷たいかき氷も作って振る舞った。そうした炊き出しや支援物資を届ける活動を続けるうち、吉田町が受けた被害の大きさと、思うように進まない復旧活動への更なる人的サポートの必要性も日々実感していく。山の頂にまで広がるみかん園地で発生した土砂崩れは町内各所で無数に見られ、一部は谷を削る土石流となって民家や集落を襲っていた。支援地域を巡回し新たな集落を訪れるたびに、被災直後のまま手つかずで放置されている家屋の姿を目にしていく。濁流と共に流れ込んだ泥は、分厚く道を覆い、家の中にも大量に流れ込んでいた。

「少しでも早く元の姿に近づけてあげたい」。槇野さんがその時感じた気持ちが「常に即実行」の彼女の次のアクションに繋がっていく。土砂を運び出すユンボ(油圧ショベル)やダンプを動かせる “男衆” ボランティアをSNSなどで広く募り有志を結集。現場の復旧のスピードを早めた頼りになる重機オペレーターの活躍を目にして復旧活動でのその重要性を感じた槇野さんは、自分たち女性でも扱えればもっと効率的な作業が進められる、と仲間に呼びかけて、女性オペレーターの育成を目的とする “女子ユンボ部” の結成準備を現在進めている。

「自分たちにできる援助を、最大限に」を体現し行動を続ける槇野さんも、町全体の現状を見た時、その復旧を見通すのにはまだ時間がかかる、と話す。「そのためにも、一人でも多くのボランティアに参加してもらいたい。最初の一歩を踏み出すことができれば、誰にでも始められる。自分にできるボランティアの形で、被災地の復旧を手助けして欲しい」と力を込めた。

気仙沼での”寄り添う”支援体験が、今回、地元で生きた。
同じ吉田町内でボランティア活動を続ける兵頭摩美さんは地元出身の看護師。2011年3月11日に発生した東日本大震災の災害支援で、宮城県気仙沼市への医療派遣チームの一員として参加した経験を持つ。当時、被災地の人たちに寄り添うなかで、過酷な状況に対峙する人たちの心の変化や、それをサポートすることの重要性を感じた。

兵頭 摩美さん

今回、自分の身近な人たちが、これまで経験したことのないような自然災害に遭遇し、災害の規模で大震災の時と違いはあっても、これから同じような困難を乗り越えないといけないかもしれないという思いが頭をよぎった時、いたたまれない気持ちになったが、自分自身をボランティアへと突き動かす強い動機付けにもなったという。

吉田町での活動は、兵頭さんが個人で協力者を求め、被災地域で求められていた飲み水や、おむつ、作業用軍手などの物資を供給。被災した人たちと同じ目線で、日々の困難を減らす手助けを続けていった。

"気仙沼 Tシャツ" を着て奮闘

その後、家屋の片づけにも参加するなかで、思うように進まない復旧活動の姿を目にしていく。

吉田町は高齢者世帯が多くを占めるが、自宅の復旧を少ない家族が自力で進めるケースが少なくなく、時間の経過に追いつかない置き去りの風景になって見えてきていた。

サポートを求めることに控えめな人たちが黙々と作業し、疲労の色を浮かべていたのを見て兵頭さんは、被災時に当たり前に思える「助けを求めること」でさえ、「 “寄り添うコミュニケーション” で、優しく導いてあげないといけない大切なこと」と話す。

ボランティアする側から見れば大きな被害を受けているように見えても、自分たちより大変な思いをしている人たちがいると言い自身の立場を後回しにする。そこには被災者の遠慮があり、忍耐があったが、同時に、過酷な状況でいくつもの不安を抱えているはずであることを、周りにいる者こそが強く意識してあげないといけないと感じている。

「つらい思いをしている人たちの傍にいること、話を聞いてあげること、その繰り返しがたぶん一番大切なこと」。兵頭さんの思いと行動が、活動する場所で一人ひとりの心を繋いでいた。

地域の未来に向けた兵頭さんの思いを最後に尋ねると、「この災害を経験し感じたことを絶対忘れないこと。何をし、どう動くかを私たち自身のために学ぶこと」と力強く話した。

取材・写真 吉良 賢二
取材日 2018/08/25
取材地 愛媛県宇和島市吉田町立間

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