あらためて平成元年(1989年)からの思いを巡らしてみる。
私は平成元年『8年が過ぎた』(篠山紀信撮影 激写文庫・小学館)というタイトルの文庫本型写真集を出したことをふと思い出した。
南洋タヒチで撮影した無邪気なショットの数々。
巻末のいとうせいこう氏の解説に「とんちんかんな天使」とあるが言い得て妙。
まさに“とんちんかんな天使”の裸の連続ショット。初版の日付は1月1日。
おめでたいんだか、もうなんなんだか。しかし指摘のように、絶妙なタイミングで“とんちんかん”をやって窮地を救うことにおいては天才的だったような気がする。

瓶の中に溜まった貝ボタンを探すように、あらゆる夏を思い出す。
記憶を巡らしたり、写真や映像の技術力によって、鮮やかに思い出すことも可能だ。
『モアナ 南海の歓喜』(岩波ホールにて公開中)という不思議な映画を見た。
1926年の作品に、1980年代新たなサウンドをつけ、それからさらに2014年デジタルリマスターを施して作り上げたという本作。
ドキュメンタリー映画の始祖ロバート・フラハティ氏と妻が南洋サモアの島の暮らしを映したドキュメンタリーフィルムに、娘のモニカ・フラハティさんが現地の人々の会話、民謡を録音して付け加えたという、半世紀以上もの長い時間をかけて完成させた親子プロジェクトとでも言おうか。
素晴らしい作品なので、南洋好きや民族音楽好き、フィールドレコーディングマニアという方には是非おすすめしたい。
本作を見て、わたしはタヒチの懐かしい記憶と重ねてトリップしたくらいだ。
南洋ポリネシアの光、ひょろりと背の高い椰子の木、海、女と男、蔓から滴る水、海亀や椰子蟹。
無邪気で楽園のような幸せ。夢みるような光の記憶と島の調べにしばし陶酔。
私が80年代に体験した南洋のタヒチも同じような楽園だった。
今でも、写真一枚からまざまざと思い出す。
思い出すことができるという行為は、生きている者にとっての愉しみでもある。記憶のボタンのあれこれを器用にしまったり出しては眺めたりできるのだから。

夏はもう後ろ姿の9月。
クレージーケンバンドの歌の「せぷてんばぁ」じゃないけれど、そんな9月の最初の頃、元町プールへ行った。
斜陽の森、トンボと泳いだ横浜・元町プール。
夏の女神が微笑んでそうな塗装の剥がれかけたプールの底。
とびあがるほど冷たいシャワー。
元町公園内の樹々に囲まれた静かな佇まいをみせる、昭和初期からずっと横浜のひとびとに愛されてきたプールだ。

調べてみると、元町プールの歴史は古い。
昭和5年(1930年)に「元町横濱プール」という名で開設。
当時東洋一と称された夜間照明付き50メートル屋外プールであり、日本初の夜間水上競技会も開催されたという。
また、戦後は米軍に接収されて「オリンピックプール」と呼ばれ、昭和27年(1952年)に返還されたという、昭和、平成と愛されてきた歴史あるプールだ。
現在は「元町公園プール」と呼ばれている。
水源は湧き水を使っていたためにかなり冷たかったそうで、真夏でも唇が紫色になるほどキンキンに冷えていた。
「心臓麻痺プール」とも呼ばれ、クレイジーケンバンドの曲の歌詞にも引用されるほど“冷たい”プールで有名だった。

元町プールは健在だが、本牧プールはここしばらく閉鎖中。
そういえば磯子にあったプリンスホテルのプールもホテル閉館とともに消えた。
都内近郊で楽しめるホテルの屋外プールも減った気がする。
都会から、屋外プールが姿を消し始める平成の夏。
昭和の時代、ホテルの屋外プールは家族連れのためにあるようなものだったが、子どもの数が減ってくると、建て替えにあたり、都内ホテルの屋外プールは次第に消えていったという話も聞く。
健康維持のための客の需要に合わせ屋内プールに変わってゆくのも仕方のないことだろう。
老朽化、維持費のコスト負担が大きいなどの理由で、小中学校のプールでさえ閉鎖しているところが多いという哀しい現実。
プール納めの帰り道、カルキ臭がかすかに残る手で買い食いしたなんて思い出もなくなるのだ。

たとえば、旧キャピトル東急ホテルの屋外プールが消えた夏。
その時のことはよく覚えている。
平成18年(2006年)9月1日。
旧キャピトル東急ホテルの屋外プールでの出来事も脳裏に焼き付いている。
プールで泳いでいた私のもとへ、シャンパンが振る舞われたのだ。
「おくつろぎのところ失礼いたします。実はこのプールはきょうで最後となります。40年の長い間、本当にご愛顧ありがとうございました。こちらは、あちらのビッグなお客様からのシャンパンで、プール最後の日にみなさまへ振る舞われております。どうぞお召し上がり下さいませ」
支配人風の蝶ネクタイをしたホテルスタッフが、かつて家族連れや宿泊客で賑わったプールサイドで見せたような笑顔を浮かべながら私にそう語りかける。
プールに浸かったまま見上げると、東屋に “ビッグなお客様”の姿があった。
いかにも映画に出てきそうな、素肌にローブを羽織り葉巻咥えた初老の外国人。
私はプールに浸かったまま、グラスを掲げて会釈する。
文章で書くとこれっぽっちなのだが、いきなりすごい時代にワープした気分。旧キャピトル東急といえば、昔から外国人スターも御用達。腰のあたりがえぐれたエロい水着姿のカトリーヌ・スパークが寛いでいそうな60年代とか。
人もまばらな肌にちょっと冷たく心地いいプールに浸かりながらそんな気分にまったり。

モスグリーンのエンボス模様のタイルが施されたプール。
オリエンタルな雰囲気を醸し出す東屋のバー。
日枝神社の木漏れ陽。
プールに行くのに、従業員用の裏エレベーターを使わなければならない隠し扉のような仕掛け。
レストラン「オリガミ」の排骨(パーコー)麺や、ジャイアント馬場が愛したチーズバーガーが食べられたあのプールサイド。
旧キャピトル東急での最後の夏も、大物VIPからのシャンパンの泡とともに記憶の彼方と消えていった。
いろんなものがそうやって、ひとつの時代とともに消えてゆく。
季節が移ろうように、思い出の場所や友人、恩師との別れ、恋人との思い出、家族という集合体が、消えてはなくなるように。
でも、私は思うのだ。
あらためて、昔のように、最初の頃のように、出会った頃のように愛したい。
もう一度愛したいのだと。

イタリアのカンツォーネにそんな曲があった。
歌手トニー・ダララが歌う『コメ・プリマ』。
イタリア版『オンリー・ユー』というか、サンレモ音楽祭を知っている世代なら聞き覚えがある名曲だろう。
「昔のように、出会った頃のように、まるで初めてのように、愛したい」
昭和に、平成に、コメ・プリマ。
まるで初めてのように、始めようじゃないか。
来年の夏も、まるで初めてのように、私は愛したい。