『今夜はひとりぼっちかい?』高橋源一郎著 戦後文学はどこにいった?

 著者がのたうちまわっている。誰も必要としていない文学を、ひとりで血眼になって探し回っている。本書はその無秩序で痛切なあがきの軌跡のように読める。

 近代文学史をパロディ化した小説「日本文学盛衰史」の第2部「戦後文学篇」と銘打ってはいるが、明治の文豪たちが大活躍する前作のように史実を下敷きにしたエンタメではない。

 戦後文学が死に絶えたような風景から始まる。武田泰淳、野間宏、島尾敏雄、安部公房……大学で著者が教える学生たちは戦後文学者たちの名前を誰一人として聞いたことすらない。

 そこから書き連ねられる文章群は、文学という「制度」の外にある“文学的なもの”だ。ラップで歌うサルトル、ロッカー内田裕也による英語の政見放送、ツイッターのタイムライン、アナーキスト大杉栄の魂を宿したパンク少年の小説——。

 著者にとって文学とは「真面目な人間(読者)を困らせるもの」「消費も消化も理解もできないもの」「見て見ぬふりをしておきたいもの」なのだ。

 後半、「青い山脈」を書いた石坂洋次郎を戦後文学者として再評価したのち、東日本大震災に見舞われた著者は、戦後と震災後の状況を重ね合わせながら、自らの体験と思索を進行形でつづっていく。

 著者一流のシモネタと余談を散りばめた、評論、エッセー、小説、ノンフィクションのパッチワーク。時に膝をうち、時に辟易とし、最後まで戸惑いつつ読んだ。なるほど、これは著者の文学の定義にぴったり当てはまる。

(講談社 2000円+税)=片岡義博

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