【平成の長崎】母親を亡くした赤ちゃんイノシシ 平成7(1995)年

 生まれて間もなく母親を亡くし1匹だけ残されたイノシシの赤ちゃん(オス)が、長崎市滑石3丁目の無職、柿田恭平さん方で世話を受けて元気に育ち、近所の話題になっている。
 5月18日、柿田さんの狩猟仲間でイノシシを飼育している西彼外海町の茶園業、山口誠次郎さん方で生まれた。ところが母親は次の子を出産できないまま死亡、おなかの7匹の子も死んでいた。2番目に出る予定だった子がおなかで大きくなり過ぎ、自力出産できなかったらしい。
 1匹だけになった赤ちゃんは、多忙な山口さんに代わり柿田さんが世話することになり、自宅に連れて帰って家の中で育て始めた。ほ乳瓶で与える牛乳を翌日から飲むようになり、すくすく成長。生まれた時には約20センチしかなかったが、現在では約40センチに。
 柿田さんの家族は、ひもじくなると「ブー、ブー」鳴いて催促する赤ちゃんを「ぶーちゃん」と呼び、かわいがっている。夜中に起きて牛乳をやる柿田さんを親と思っているのか、家の中でも外に連れ出しても柿田さんについて回る。同居の孫たちとも仲良しで「すっかり家族の一員ですよ」と目を細める柿田さん。
 約45年前にもイノシシの赤ちゃんを育てた経験がある柿田さん。ある程度大きくなって、ドッグフードのえさを食べられるようになったら、山口さんに返す。
(平成7年6月4日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

牛乳をおいしそうに飲むイノシシの赤ちゃん=長崎市滑石3丁目

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