『赤い風』梶よう子著 荒涼たる原野との格闘

 短冊状に区切られた土地が、整然と並んでいる。それぞれの区画に、屋敷地、耕作地、そして緑濃い雑木林がある。埼玉県三芳町と所沢市にまたがる「三富(さんとめ)新田」は、雑木林の落ち葉を掃き集めて堆肥にし、それを畑に入れて土を作る循環型農業を300年以上にわたって続けてきた。梶よう子の『赤い風』は、柳沢保明(吉保)が川越藩主だった時代に開拓した新田に材を得た長編歴史小説である。

 物語の幕開けは、貞享2(1685)年冬。舞台は水に乏しい武蔵野台地の痩せた土地だ。冬と春には乾燥した赤い風が吹き荒れる。荒涼たる大地は、牛馬の飼料や堆肥の草、屋根葺きの萱などを採取する「秣場(まぐさば)」として使われているが、入会地であるせいか長年、農民同士の争いが絶えない。

 大塚村の少年・正蔵と父の吉二郎は、この秣場へ薪を取りに行った帰り、顔を隠した5人組の男たちに襲われる。手に大豆のような黒子がある男に棒切れで殴られた吉二郎は、その夜、家に帰って亡くなる。黒子の男は鶴間村の藤兵衛と分かるが、吉二郎が帰宅後に死んだため、重い罪に問われない。残された正蔵と妹たちは、母の再婚先の村に連れられて行く。

 時が流れ、元禄7(1694)年。五代将軍徳川綱吉の側用人を務める柳沢保明が川越藩主となってすぐというタイミングで、再び農民同士の諍いが起きる。筆頭家老の曾根権太夫は保明から、この土地を2年で農地に変えよと命じられる。1000町歩(約1000ヘクタール)もある土地だ。権太夫は言う。「殿はあの原野を目の当たりにしておられぬから夢のようなことを語られるのでありましょう」。しかし保明が権太夫に明かした計画は、驚くべきものだった。

 近隣の村から募った入植者の中には、正蔵のほか、藤兵衛らしき男の姿も交じっている。そして開拓を指揮する権太夫の息子、啓太郎は当初、高圧的態度を崩さず、農民たちとなじもうとしない。水の確保、風への対処…。数々の困難を前に人々は結束するのか。たった2年で、この広大な原野が農地に生まれ変わるのか―。

 大地を耕す側の正蔵と、指揮する側の啓太郎の確執と友情が読みどころの一つだろう。いや、この2人だけではない。無理難題ともいえる計画を成功させるには、武士と農民が手を携えなければならない。身分を超えた協働は実現するのか。

 農民の一人が言う。「おらたちは、お殿さまが替わろうとも、土地を捨てるわけにはいかねえ。ここで生きていかねばならねえのです」。保明は家臣に「民、百姓は国の本なり」と言い、侍風を吹かすことなかれと厳しく戒める。そして農民に向かってはこう語りかける。「天を窺い、地を知り、風を読み、作物を生み出すことができるのは、百姓であるお主らなのだ」「お主らは、自らを誇りに思え」

 物語は最終盤、冒頭から80年以上も後の世、明和5(1768)年に飛ぶ。そしてこの土地で、甘いサツマイモが採れていることが明かされる。つまりこの物語の主役は正蔵でも、啓太郎でも、ましてや柳沢保明でもない。正蔵たちが格闘した土地だ。「人も暮らしも、政も変わっていく。けれど大地は変わることなくそこにある」

(文藝春秋 1800円+税)=田村文

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