緻密に生き生きと 諏訪祭礼図屏風 長崎市購入 江戸期の国際交流も表現

 長崎市は、江戸時代の長崎くんちの様子を描いた「諏訪祭礼図屏風(すわさいれいずびょうぶ)」を6月、個人から購入した。八曲一双の豪華なびょうぶ絵で、踊りや見物人の様子が生き生きと描かれている。購入にあたり、本作を調査した市資料取得委員会委員長で長崎史談会会長の原田博二氏は、「くんちをこれほど緻密に描いたのは本作だけ」と話す。写真とともに見どころを紹介する。
 本作は、閉業した同市の老舗料亭・富貴楼の経営者が所有し、市などへ購入を持ち掛けていた。縦204センチ、横532センチのびょうぶ2枚からなる。市によると制作年代は18世紀後期以降と推定され、作者は福岡藩の御用絵師・狩野昌運と伝えられている。昨年12月に同委員会が調査。市議会の承認を得て、同市の歴史関係の資料取得としては過去最高額の3500万円で購入した。
 原田氏によると、本作に描かれているのは長崎くんちの後日(あとび)。右隻は諏訪神社の広場で長崎奉行のために踊りが披露される様子が主題となっている。右側に長崎奉行(2人)のいる桟敷に対して相撲踊りが披露されている様子が描かれ、下部にお旅所での奉納後に長崎奉行の桟敷に向かう一行、上部に長崎奉行への披露を済ませて炉粕町方面へ抜ける一行が見える。
 傘鉾(かさぼこ)の垂(た)れが現代に比べて短く、また朱色の大きなほろなど華やかな装飾や衣装から、長崎が最も華やいだ元禄時代(1688~1704年)の、初期の長崎くんちが描かれたと考えられている。踊町の名前などを特定できる情報は描き込まれておらず、市長崎学研究所の赤瀬浩所長は「長崎くんちそのものを描こうとして、ある程度想像して構成したのでは」とみる。
 一方、左隻はお旅所での奉納踊りの様子を描く。中央部で踊りが披露され、それを見物するオランダ人、中国人らが毛髪や衣装まで精緻に描かれている。赤瀬所長は「一枚の絵によって祭りを通した江戸時代の国際交流の姿を表現している。当時の長崎という都市の姿を表すシンボリックな作品」と話す。
 制作年代や作者の特定など、市は今後も調査研究を進めるという。また機会を捉えて、長崎歴史文化博物館(立山1丁目)などで一般公開する方針。原田氏は、「今も昔もくんちを楽しむという雰囲気が良く出ている。原物が長崎に残ったことは大きな意義がある。本作を核に、くんち資料館のようなものも作れないか」と話している。

「諏訪祭礼図屏風」の右隻(長崎市提供)
「諏訪祭礼図屏風」の左隻(長崎市提供)
右隻の右下部。長崎奉行に相撲踊りを披露している。下方には垂れの短い傘鉾も丹念に描かれている(長崎市提供)
左隻の上部。見学するオランダ人が毛髪や服装などまで精緻に描かれている。「オランダ人の顔は難しいのに良く描けているが、みんな同じ顔なんですね」と原田氏(長崎市提供)
右隻の右側。桟敷でくつろいだ長崎奉行(中央ふすまの前の2人)が見える。原田氏は「奉行は正座をして踊りの披露を受ける。作者の考えで奉行もリラックスしてくんちを楽しむ雰囲気を描いたのだろう」と話す(長崎市提供)

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