【平成の長崎】燃えた満場の応援席 「最高の試合、胸を張れ」 平成7(1995)年

 「よく頑張った北陽台。胸を張れ、最高の試合だったぞ」
 第74回全国高校ラグビー大会決勝は1月7日、東大阪市の花園ラグビー場で決勝があり、長崎県代表の長崎北陽台は、健闘及ばす準優勝。けがや風邪を気迫でカバーする、フィフティーンのはつらつとしたプレーに、応援スタンドや、長崎県内各地のファンからは、惜しみなく健闘をたたえる声が上がった。
 この日、花園ラグビー場のスタンドには、前夜からバス9台で駆け付けた1、2年生や、職員計約350人の同校応援団と、同じくバス3台の地元長与町の役場職員、町民有志約130人などが陣取った。
 長与町応援団は、急きょ前日作った「まきおこせ青い旋風 めざせ優勝」という長さ8メートル、幅60センチの横断幕を持ち込み、気勢が上がる。長与町の徳永純三教育長は、山内主将の伯父、山内計孝教育委員長と並び「風邪をひいた選手が多いと聞くが、ここまで来れば、何とかもうひと頑張り」と、期待のまなざし。長崎県の宮崎政宣教育長も原宮之・体育保健課長らと駆け付けた。
 ゲームは序盤、長崎北陽台にいつものスピードがなく、次々とPGやトライを決められリードを許す。「やはり体調が良くないのか…」。スタンドからは選手たちを気遣う声。
 後半は選手たちの動きもよくなり、9分に1トライ、1ゴールを返すとスタンドが揺れる。その後、FB今崎が40メートルを独走してトライしたかに見えたが、惜しくもスローフォワード。決まっていればゲームの流れが変わることも予想されただけに「惜しかった」のため息も重かった。
 結局、終盤の懸命の反撃も届かずノーサイド。悲願の初優勝は、次回へ持ち越されたが、スタンドからは「よくやった。いい試合だった」と、惜しみなく健闘をたたえる声が上がった。
 宮崎教育長は「勝負は時の運、よくここまで頑張ってくれた。こんなに子供たちが夢を与えてくれるとは」と感激の面持ち。上田康士校長も「風邪などは気にせず、最後のゲームを頑張ろうと話したが、選手たちは精一杯頑張った。生徒といい夢を追いかけ、これ以上の幸せはない」と晴れやかだった。
(平成7年1月8日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

「さあ反撃だ」。後半9分、CTB山口大輔の鮮やかなトライに、逆転への望みを膨らませて沸き上がる、長崎北陽台応援スタンド=東大阪市、花園ラグビー場

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