豪雨の中、要支援者や地域住民の安全を確保 岡山県の社会福祉法人旭川荘

社会福祉法人旭川荘本部(岡山市北区)

7月の西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県で、河川の洪水や土砂災害に備えて、早くから防災活動に取り組んできた社会福祉法人がある。7月豪雨では、大きな被害にこそ遭わなかったが、防災マニュアルに基づき、降雨量や河川の水位、ダムの放水量などをこまめにチェックし、早期に低層階にいる入所者を高層階に避難させ、また、地域住民や高齢者・障害者も受け入れるなどの対応をした。

岡山県を中心に、障害者医療福祉、知的障害福祉、身体障害福祉、高齢者福祉など8分野の医療福祉サービスを展開する社会福祉法人旭川荘は、岡山市、高梁市、備前市、さらには愛媛県の鬼北町と、計50棟ほどの施設を持ち、1日3000人が利用する大規模な社会福祉法人だ(従業員2230人)。

その本部があるのが、岡山市北区。一級河川・旭川と龍ノ口山の間に挟まれた氾濫平野に、医療福祉センター、障害者福祉施設、高齢者福祉施設、専門学院など全体の7割に相当する30棟以上の施設が集中している。

付近には旭川から分流した用水路も流れ、市のハザードマップでは、旭川が氾濫した場合、周辺一帯が2m~5mの浸水危険地域になることが想定されている。60数年前、社会福祉法人としての活動を始めるにあたり、国有地を安く借りられるということで、この地に本部が建設されることが決まった。以来、事業規模の拡大に伴い、施設も数が多くなっていった。

旭川荘(朱矢印)と周辺立地。旭川と龍ノ口山に挟まれた氾濫平野に複数の施設が集中する

早期に入所者を高層階へ移動

7月豪雨では、岡山市では7月5日から大雨が降り出し、6日の夜7時40分には、広島県、岡山県、鳥取県に対して大雨特別警報が発令された。旭川荘の本部がある岡山市北区でも、6日の期間降雨量が132㎜と記録的な大雨となった。

一方、旭川荘では、災害対応マニュアルに基づき、5日の夜の時点から、雨量や旭川の水位に影響を及ぼす上流のダムの放水量や河川の水位をチェックするなどの対応を開始。ダムの放水量が増えると旭川の氾濫危険性が高まることから、市とは、あらかじめ放水量が毎秒300トンを超えると、自動的にファックスが送られてくるように取り決めをしていた。さらに、県のポータルサイトで定期的に河川の水位や雨量を確認した。

山のふもと近くにあるグループホームでは、土砂災害に備え、5日の夜8時45分の時点で、知的障害のある利用者を安全な場所に移動させるなどの対応を実施した。夜11時には、周辺地域に避難勧告が発令されたことから、総合防災管理者の副理事長が、高齢者福祉施設と障害者福祉施設の2カ所を「福祉避難施設」として開設できるよう準備を指示。いつでも地域の要援護者を受け入れられる体制を確保した。さらに、午前0時を回った段階で、地元の自治会長から、厚生専門学院の体育館(リズム棟)を周辺の地域住民向けの避難所として開放してほしいとの要請を受け、開錠を行った。

実は、岡山市とは、災害時に避難場所(協定による避難場所)にする協定は結んでいるが、河川から近いこともあり、洪水時には不適切として、市では避難場所としての指定はしていなかった。避難所としての開設は、あくまで、旭川荘の独自の判断ということになる。なお、市当局には、逐次状況を報告していたという。

二次避難場所まで準備

旭川荘の周囲には、ほかに安全を確保できる場所はなく、仮に地域住民が市の指定する避難所に行くとすれば、暗闇の中、水位が高くなった河川を渡らないといけないなど、移動には大きなリスクが伴う。こうしたことから、旭川荘では、いざとうとき独自の判断で安全に地域住民が受け入れられるように、準備や訓練を続けてきた。具体的には、まず一時避難場所となる体育館などで安全を確保し、河川の決壊などの危険が高まったら、より高く安全な二次避難場所に移動するなど、すべての避難場所について、代替場所を設定している。

翌6日未明には、一旦、雨が小降りとなり河川水位が下がりはじめたものの、再び梅雨前線の活発化に伴い雨足が強まってきたことから、朝6時過ぎに、副理事長から旭川荘災害対策本部設置の指示が出され、それぞれの施設で入所者の移動準備などを開始。通所施設は基本的にすべて休所とし、入所者の安全確保と、福祉避難所と一般避難所であるリズム棟への住民の受け入れの準備を開始した。災害対策本部では、雨量や河川水位、ダムからの放水量に加え、各施設での対応状況を時系列で記録し続けた。これらの内容はパソコンにも打ち込み、関係者間で情報を共有した。一連の対応は、これまで訓練してきたことだ。

本部がある北区祇園地区では、水路から水があふれ出し駐車場が冠水し、6日深夜から7日未明にかけて福祉避難所には20人、リズム棟へは約200人が避難し、避難者に毛布やペットボトル飲料、クラッカーなどを提供した。

災害対策本部では、継続的に河川の水位、ダムの放水量をチェックし、仮に河川が氾濫した場合に備え、二次避難場所への移動手段も検討していた。いざという時に備え、プラスチック製のボートも備蓄していたという。この間、各施設では、河川水位の上昇をふまえ、低層階の入所者を高層階に避難させるなどの対応を実施した。

対策本部の様子。雨量、河川水位、ダムの放水量に加え、各施設の対応が時系列にわかりやすく整理されていった。

過去の災害の教訓を生かす

これほどまで、旭川荘が防災を徹底していた理由の1つに、過去の災害の教訓がある。2005年6月30日に起きた施設の大規模火災。旭川荘副理事長の仁木壯(にき・たけし)氏は「13年前に大きな火災があり、それを機に防災意識が高まった」と振り返る。さらに、「意識だけが高くても、マニュアルがないと動けない」と、翌年(2006年)、防災マニュアルを整備。以降、訓練や研修も繰り返し実施している。火災があった6月30日の週は、防災週間と定め、職員から防災の標語を募り、優秀作品を決めるなどの取り組みを継続している。

旭川荘では、7月豪雨で被災した倉敷市に延べ35人の職員を継続的に派遣した。仁木氏は「東日本大震災でも4年にわたり被災地に職員を派遣しましたが、他の災害対応を支援させていただきながら、気づいた点を持ち帰ってきて自分たちの災害対応に生かしています」と話している。

副理事長の仁木壯氏(左)と防災顧問の鈴木史郎氏(右)。背景の写真は建設当時の旭川荘

(了)

リスク対策.com:中澤幸介

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