『止められるか、俺たちを』 白石和彌(映画監督)(Roftop2018年10月号)

きっかけは一冊の写真集だった

──『止められるか、俺たちを』は、あの若松孝二を映画にするという大胆な企画ですが、プレッシャーは大きかったですか?

白石:意外とプレッシャーはなかったですね。この映画を撮るからには、先輩達から怒られることは覚悟の上で、腹を括ってやるしかないと思っていましたから。

──白石さんがこの企画を思いついたきっかけは、若松さんの生誕80年祭で、若松プロ初期のレジェンド達(足立正生、秋山道男、小水一男、高間賢治、福間健二など)の話を改めて聞いて、それが無類に面白かったからとのことですが。

白石:久しぶりに聞いたらゲラゲラ笑えるような話ばかりなんです。それぞれのエピソードは本に書かれていたり、インタビューで語られたりと、小出しにあちこちで聞いたり読んだりはしているけど、それらが系統立てて書かれた本は一冊も出てなかった。あとはもちろん吉積めぐみの存在ですね。めぐみさんが亡くなった時に仲間内で写真集を作っていたのを知り、それを高間さんが1冊送ってくれたんです。めぐみさんは奇跡的な時代に若松プロにいた人なんだということを知って、彼女を主人公にして映画を作ったら面白いんじゃないかと思ったんです。それは今まで感じたことのないような衝動でした。それで、この企画ができる、できないは置いておいて、とにかく誰かに話してみようと。それでいろんな人に話し始めたんです。

──まずは若松プロの先輩である脚本の井上淳一さんに相談したんですよね。

白石:誰か一人でも反対する人がいたら止めようと思っていました。結果的に誰も反対する人がいなくて、僕自身が意外でした。

──めぐみさんのことは前から知ってました?

白石:もちろん存在は知っていたし、事務所に写真が飾ってあったから若松さんにも何回か聞いたことがあったんですが「前にうちにいた助監督で、事故で死んだんだ」とあまり多くは語らなかったんです。だからもし高間さんが写真集を送ってくれなければ、この映画を作ろうとは思わなかった。実は、若松プロの事務所にも写真集が残っていて、それが結構ボロボロだったんです。たぶん若松さんも時々見てたんだろうなと思いました。

なんか腹立つことないのか? 何をぶち壊したいんだ!

──映画の舞台は1969年から1971年という社会的にはまさに激動の時代ですね。

白石:若松さんは『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』の舞台挨拶で「あの当時の若者達は右も左も関係なく国を憂え、一生懸命生きていたんだ」とよく言ってたのですが、きっと若松プロは同時代の若者達に負けられないという気持ちで映画を作っていたんだろうなと思います。この時期の若松さんは多い時で年に9本映画を撮っていて、それ以外にもプロデュース作品も何本かやっているので、もうむちゃくちゃな仕事量なんです。そこには足立正生さんをはじめ小水一男さんや荒井晴彦さんのようなすごい才能が集まっていたし、まさに映画の梁山泊ですよね。あと、めぐみさんと僕は時代が約30年違うけど、たぶん見てる光景はあまり変わらないんじゃないかな。少なくとも若松さんが飲み屋で言うセリフは、ほとんど同じはずです(笑)。

──映画の中でめぐみさんは初めて若松監督と飲みに行った時に「おまえ、なんか腹立つことないのか? 何をぶち壊したいんだ!」って言われてますね。

白石:あれは実際に僕が言われたセリフです。いきなり「おまえ、誰か殺したい奴はいないのか!」って(笑)。

──自分の体験をそのままめぐみさんの体験に置き換えたんですね。脚本の井上さんが、この映画はある意味で「負け組」の話なんだとコメントしてますが、めぐみさんは、何者かになろうとしてもがき、道半ばにして挫折していった多くの若者の姿をある意味象徴していますね。

白石:井上さんのおっしゃる通りですが、重要なのは、めぐみさんが存在した証は当時撮られた映画作品の中にちゃんと刻まれているということなんです。

──めぐみさんが初めて助監督をした『女学生ゲリラ』の撮影シーンを再現されてますが、めぐみさん自身が同級生の役で出ているのは知りませんでした。

白石:映画と同じ台詞をそのまま入れてます。撮影場所も同じ。当時の若松プロも金がなかったから、ロケは山の中や浜辺や一軒家の中や公園だったりしたので、今回そういう場面の再現はやりやすかったです。ゴールデン街も当時の雰囲気そのままだし。だから、若松監督に助けられてるなって思いながら撮影していました。

──映画の中には、三島由紀夫の割腹自殺のことが出てきたり、重信房子や遠山美枝子が出てきたりして、これが後に若松さんが監督した『11・25自決の日』や『実録・連合赤軍』につながるんだと思うと感慨深いものがありますね。

白石:『実録・連合赤軍』の当初の脚本には遠山美枝子が若松プロに来ていた場面もあったんですが、なぜか若松さんが削除したんです。でも今回はやはり遠山さんを登場させたかった。後に日本赤軍に参加することになる和光晴生もそうですが、若松プロが政治や社会と他人事ではなかった過激な時代を象徴してますから。

若松孝二に刃を突きつけないと

──後半にめぐみさんが新聞記者からインタビューを受けるシーンがありますが、あれは実際にあったことなんですか?

白石:そうです。昭和46年7月12日の読売新聞に「娘たち現代を生きる」という記事として載っています。めぐみさんが本音を語りながらも強がっている部分もあり、それらが混在した感じが出てるなと思って撮りました。強がれば強がるほど彼女の弱さが見える、そういう場面ですね。

──取材の中で「やがては若松孝二に刃を突きつけないと」と語っていますが、めぐみさんが、早く何者かにならなければと焦る気持ちが表れていると思いました。

白石:僕は若松さんに初めて飲みに連れていかれて「おまえは何を撮りたいんだ?」と言われた時、撮りたいものが何もなかったんです。それはめぐみさんもそうだったんじゃないかな。表現することって一回始めることができれば後はどんどん生まれてくるんだけど、最初の見つけ方がすごく難しい。それは僕たちの後輩に向けたメッセージでもあります。

──白石さんはもともと自分が映画監督になるつもりはなかったというのが意外でした。

白石:映画監督って若松孝二みたいな変な人がなるか、大島渚さんみたいな超インテリの人がなるものだと思っていました。でも、若松さん以外の現場で助監督をやったりすると、中には「なんでこの人が監督なんだろう?」と思うような人もいて、俺の方がもっとうまく撮れるなって気持ちもあったんです。だから、自分が映画を続けるにしろ辞めるにしろ、監督として必ず一本は撮ろうと思っていました。

──ちなみに白石さんが若松監督に刃を向ける瞬間ってありましたか?

白石:いや若松さんに対してそういう気持ちはなかったです。もちろん腹の立つことはたくさんあったけど(笑)、それは師匠と弟子の範疇なので。若松さんに刃を突きつけたとしても、それは若松孝二の劣化コピーにしかならない。めぐみさんが刃を向けるべき相手はお客さんなんですよね。本来、映画監督が向き合うべき相手は観客だから。

社会を上からではなく下からの目線で描かないと映画じゃない

──この映画を撮り終えて改めて思うことってありましたか?

白石:若松さんの映画作りってすごく自由だったんだなって思いました。人がどう観るのかは関係なく、自分の中の衝動が先で、思い立ったらすぐに撮るみたいな。今はそういう映画は少なくなりましたが、自分がそもそも何のために映画を撮るのかという事を改めて考えさせられます。最近驚いたんですが、是枝監督の『万引き家族』に対して、万引きされる側の気持ちになれっていう批判がネットにあがって、それがニュースになってたんです。そういう批判って本当にくだらないと思いますね。爆弾抱えた左翼が交番を爆破してる若松映画に対して、爆破される側の気持ちを考えろと言ってるのと同じですから。そんなこと言い出したらすべての物語は必要なくなってしまう。世の中がいかに変わったかということも感じるし、そういうことを言う奴の意見をいちいち聞いて映画を作ったらだめなんだとも思います。

──若松監督が、警察側からの視点で連合赤軍事件を描いた映画『突入せよ!』に対抗して、学生側から事件を描いた『実録・連合赤軍』を作ったのは有名な話ですよね。

白石:若松さん自身は左翼ではないけど、少なくとも警察よりは自分の身近にいる左翼の人達の方が世の中をよくしようとしていると感じていたんだと思います。若松さんがいつも言っていたのは、権力側からものを描くな、社会を上からではなく下からの目線で描かないと映画じゃないということ。若松さん自身がアウトローでしたからね。だから僕もそういう映画を作っていきたいといつも思っています。

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