「若松プロ」の精神描く 映画「止められるか、俺たちを」

 実在した女性助監督を主人公に、映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」などで知られる若松孝二監督の若かりし頃を描いた映画「止められるか、俺たちを」が13日から、横浜のシネマ・ジャック&ベティで公開される。若松監督の下で映画作りを学び、メガホンを取った白石和彌監督に、作品に込めた思いを聞いた。

 “闘う鬼才”と呼ばれた若松。1965年に「若松プロダクション」を設立し、暴力や政治、エロスをテーマとする作品を量産し、全共闘世代の若者に支持されてきた。

 「凶悪」「彼女がその名を知らない鳥たち」など、近年、映画賞に輝いてきた白石も「若松プロ」で映画製作を学んだ一人だ。

 「『若松プロ』の映画作りとは、何だったのか」。2012年に若松が亡くなったことや、メジャー映画を製作する機会が増えていく中、自分の出発点をもんもんと考えるようになり今作の企画が浮かんだ。

 舞台は1960年代後半から70年代初め。30代前半の若松の下には、夢を持った若者たちが昼夜問わず集まり、“何者”かになろうと青春を費やしていた。「夢破れた人もいるけれど、映画作りに命を燃やし、輝いていた若者の存在価値を撮りたかった」と白石。

 当時としては珍しい実在の女性助監督・吉積めぐみ(門脇麦)を主人公に選んだ。「男性を主人公にすると、しょせんその業界の話でしょとなってしまうのではないかと思った」。白石は「僕と若松監督との出会いはめぐみさんと30年くらいの差はあるけれど、この映画はきっと僕の話でもあるんです」と、映画作りに没頭するめぐみに思いを寄せる。

 一方、めぐみの姿は今を生きる女性たちにも重ねることができる。「めぐみさんが生きたのは女性が少しずつ他の生き方もあると、みんなが発言し始めた時代。今の『#MeToo』とも、少し空気感がシンクロしているなとも思っています」と白石は言う。

 今作は「若松プロダクション映画製作再始動第一弾」とうたう。白石は「僕以外の人が映画を撮ってくれてもいい。何か面白いことができれば」と第二弾の製作にも期待を寄せている。

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