私はラジオ派。
テレビを見るよりもラジオを聞くことが多い。
とはいっても、もっぱらカーラジオなのだが、ラジオの音に慣れ親しんできたせいもあってか、とても心地よく耳に入るものだなあと思ったりする。
ラジオは本当に面白い。
作業しながら、運転しながらでも聞ける。さらには音に集中できるのがいい。
真夜中のタクシーで「ラジオ深夜便」などが流れていると、会話のない車内の気まずさをいい塩梅に埋めてくれたりする。

10代の頃、一番よく聞いていたラジオ番組はFEN。米軍の極東放送「Far East Network」(FEN)だ。
確か土曜の夕方からやっていた『TIME MACHINE』という番組は、オールディーズナンバーを年代順にかけてくれるのが好きで、メモを取りながら聞いていた。
他にも、大相撲中継だったり、天気予報、ミステリードラマ、コメディーショー、日本語レッスンなど、様々なジャンルの番組が編成されていた。
FENの中でも、私を一番夢中にさせたのが『Wolfman Jack Show』。DJのウルフマン・ジャックの名を世に知らしめた超人気番組だ。
しゃがれた声で早口でまくしたてる喋りと曲のタイミングが絶妙で、内容なんかわからなくても、ウルフマンおっさんの喋りと音楽を聞いているだけで、まるでアメリカの学生のような気分になれた。
それはサドルシューズにレタードカーディガンを羽織りチェックのスカートを翻す恋の気分の女の子だったり。
果ては、遠いベトナムの戦地にいる若い兵士のような気分にもなれたのだった。
横田基地へ着陸する輸送機の腹などをみて育った私は、「あの腹にウルフマンおっさんのレコードが乗っかっているかもしれないな」とか、「あれは遠くベトナムからウルフマンおっさんを運んでいる飛行機かもしれないな」などと空想しながら、のんきに低い空を見上げたものだ。

『Wolfman Jack Show』はFENのために制作された番組だが、大人気になりその後53の国や地域の2000以上のラジオ局で流れるようになる。
私はずっと横田基地を拠点に米軍基地を飛び廻ってる愉快なおっさんだと思っていた。
ウルフマンおっさんの正体はいかに。
後に、本物のウルフマンが見られるという触れ込みの映画『アメリカングラフィティ』をリバイバル上映で見た。
ウルフマンおっさんは「実は黒人DJなのだ」という台詞にちょっと衝撃を受け「そうなんだ黒人なのか、だからウルフマンはかっこいいんだなあ」などと感慨にふけっていたら、なんと終わりの方で、まさかのご本人が登場?とにかくびっくり!(映画を見ればこの話のオチはわかるので、言わないでおく)
謎のDJ・ウルフマンおっさんが一晩中ラジオでかけまくるオールディーズの珠玉のナンバー。全編に流れるサントラを存分に堪能できるのもこの映画の旨味。
そんなウルフマンおっさんは、95年に57歳でなくなってしまった。
今でも時折あのしゃがれた声で吠えまくる彼の声が聞きたくなる。
ウルフマンおっさんは、ラジオという箱の中、レコードの溝のぐるぐるの中に住み着いているカリスマであり、私にとって尊い存在なのだ。

深夜放送が盛り上がったその昔、人気DJの番組はテレビ以上に大人気なものもあった。
中学生の時、こっそり出演したことがあるTBSラジオ『夜はともだち』(DJは小島一慶と林美雄)。
放送翌日は学校で必ず話題になったニッポン放送の『オールナイトニッポン』。
細川俊之の美声の語りが魅力だったFM東京の『ワールドオブエレガンス』。
城達也の『ジェットストリーム』。シリアポールの『ダイヤトーンポップスベストテン』
正統エアチェック派ならばNHK―FM『軽音楽をあなたに』………など、いろいろありすぎて書き切れない。
当時どれだけ朝から夜更けまでラジオを聞きまくっていたのだろうか。もはや気が狂っているとしか思えないほど、ラジオに夢中だったあの頃。
電リクや恋の告白、ハガキ投稿など、独特のジョークを交えて面白おかしく進行する人気DJは、曲のセンスや曲をかけるタイミングなんかも絶妙だった。
真夜中に、好きな人が同じラジオ番組を聞いているというだけで、電リクのラブソングにうっとりしたり。
まあ、深夜でもラジオを流していれば、熱心に勉強しているフリができて、親を安心させられたというのもあったのだけれど。

そういえば、ラジオDJネタの映画も多い。
『グッド・モーニング・ベトナム』(1983年)のロビン・ウィリアムズ扮するDJは、「ベトナムにおけるウルフマンおっさんじゃんか!」と見ていて目頭が熱くなってくる。
『恐怖のメロディ』(1971年)では、人気DJ役のクリント・イーストウッドを苦しめるリスナー女性がリクエストする「ミスティ」が印象的。イーストウッドの初監督作品でもある。
『パイレーツ・オブ・ロック』(2009年)は、1960年代当時に英国ではやった海賊ラジオ船の物語。
BBCラジオが1日45分しかロックを流さなかった時代。海上から船でDJたちが24時間ロックを流しまくったという話だ。
実際、ビートルズやローリングストーンズなどの当時はやった曲を聞くために大勢の英国人がこの海賊ラジオを楽しみにしていた。
ピーター・バラカン氏も子どもの頃、この海賊ラジオの虜だったという。ビートルズの古いファン冊子には、海賊ラジオの広告が大きく載っていたりする。

リスナーを夢中にさせた人気ラジオDJのそれぞれ。
ウルフマンおっさんはもうこの世にはいないが、あの声、あのノリは、映画やサントラといった音源の中に今も生きているのだ。
おとなになった私は、相変わらず好きなDJのラジオ番組をカーラジオやインターネットラジオで聞いたりしている。

日曜の18時から20時までは、ロック、ブルース、ジャズ、ワールドミュージックにも造詣が深いピーター・バラカン氏の『バラカンビート』(InterFM897)。シニカルで刺激的なトークと音楽を楽しんだ後は、のほほんとした気分になれる自称ウクレリアンの関口和之氏の『NO―FO―FON―TIME』。
そしてスピッツの草野マサムネ氏の素敵な声でロックの名盤をガンガンかけてくれるFM東京の『マサムネのロック大陸漫遊記』と続く。
いつだったか彼の番組を途中から聞きはじめ「今時こんな懐かしいロックを演奏する若い奴らいるんだねえ」とある曲に惚れ惚れしていたら、それは沖縄ロックを代表するコンディショングリーンの名曲だったという。マジにロック大陸漫遊記な番組だと笑ってしまった。
関口和之氏の『NO―FO―FON―TIME』では、部屋=ルームというお題で選曲するというので、ビーチボーイズは間違いなく最初に聞けた。
次はクリームの「ホワイトルーム」だろうと予想していたら、「イン・マイ・ルーム」しかもザ・ウォーカーブラザーズだった。そんなふうに、次にどんな音楽をかけてくれるのかも、ドライブ中の楽しみだったりもする。

ある日、「番組をいつも楽しみに聞いています」と、ウクレレの師匠でもある関口さんご本人にお話した。
とても喜んでくださって、「いつかパイティティ(私が参加しているウクレレユニット)の新譜が出たらゲストに来てほしいなと思っているんだけど、それまで番組が続いているのかなあ」と、いつもの“のほほん”とした調子で言われた。
「だったら私、出る! お願いDJ」とすかさず返したら、なんとゲストに呼んでいただけることになった。
サザンの歌のタイトル『お願いDJ!』ではないが、DJにお願いはしてみるものだ。
奇しくも17歳からの知り合い関口さん。そんな彼がDJの番組に、私がお呼ばれされる日がやって来るとは!
さて、私はどんなお喋りをしてどんな音楽を流すことでしょう。
日曜の夜は、89.7MHzにラジオのチューニングはロックオン!
どうぞお楽しみに。

関口和之の『NO-FO-FON-TIME』(InterFM897 毎週日曜20:00~21:00)。