映画会社「日活」創立に功績 梅屋庄吉 歴文で企画展

 辛亥革命の指導者・孫文を物心両面で支援した長崎出身の実業家、梅屋庄吉(1868~1934年)の映画人としての横顔に光を当てた企画展「映画界の風雲児 梅屋庄吉」(実行委主催)が、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館で開かれている。

 梅屋の生誕150年などを記念。孫文との関係の中で語られがちな梅屋だが、日本の映画史にも大きな足跡を残した。同展では梅屋のひ孫、小坂文乃さんが所蔵する資料など約70点を展示し、梅屋の映画史における偉業を伝える。

■海外経験
 明治元年に長崎で誕生した梅屋は生後間もなく、西浜町の中島川沿いで貿易商と精米所を営む梅屋家の養子になった。15歳の頃には梅屋家の持ち船に忍び込んで上海に渡航するなど、好奇心旺盛で行動力があった。
 1893年、26歳で中国や東南アジアを放浪した後、香港に移住。繁華街の一角で写真館を開業した。同館学芸グループリーダーの竹内有理さんは「日本の写真の開祖・上野彦馬を生んだ長崎で生まれ育った梅屋にとり、写真は身近なものだったのかもしれない」と話す。
 写真館で孫文と出会い、2人は中国とアジアの将来について意気投合。その後、孫文支援によって自身にも危険が迫った梅屋は1904年、シンガポールへ逃亡。そこで持っていた仏製の映写機と映画フィルムを使って興行を始め、大成功を収めた。

■基礎固め
 05年には長崎に帰郷し、まもなく上京。映画会社Mパテー商会を設立し、製作や配給といったビジネスに本格的に乗り出した。当時、映画草創期の国内では吉澤商店や横田商会がすでに事業を始めていた。日本映画史研究家の本地陽彦さん=都内在住=は、「梅屋は海外の経験で得たノウハウと豊富な資金力で、後発ながら一気に事業の基礎を固めた」と指摘する。
 本地さんによると、梅屋が手掛けた映画は数百本にも上る。その中でも、日本人初の南極探検を撮影した長編ドキュメンタリー「日本南極探検」(1912年)は、日本の映画史上に残る重要なフィルムという。今回、同展では2015年度にデジタル復元した同作を、県内で初めてフルバージョン(45分)で見ることができる。

■革命支援
 本地さんが梅屋の「最大の功績」と語るのが、現在の映画会社・日活の前身、「日本活動写真株式会社」の創立だ。当時、梅屋のMパテー商会など4社が競合していたが、1912年に梅屋の働き掛けで日活としてまとまった。同展ではその時の貴重な契約書も展示している。
 映画事業に成功した梅屋は、築いた財産を革命支援に充てた。11年に辛亥革命が勃発すると技師を派遣して闘いを撮影。当時米国にいてその様子を実際に見ることができなかった孫文のため、後に上映した。
 ひ孫の小坂さんは今月上旬、同館であった講演会で「梅屋は美しいもの、新しいものが好きで、それらを写真や映画で表現してビジネスとして成功した。ビジネスは世の中に役立つべきという考えから平和や人類平等を願って革命支援をしていた」と述べた。
 同展は11月25日まで(同19日休館)。無料。

梅屋(左から3人目)ら日活創立の記念写真(小坂文乃さん蔵)
Mパテ―商会の映画が上映された浅草の常設館「大勝館」(浅草大勝館絵葉書=個人蔵)
「日本南極探検」デジタル復元版(国立映画アーカイブ蔵)

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