伝統産業 木蝋 こだわりの製法貫く

 ハゼの木の実から抽出精製される木蝋(もくろう)。古くから和ろうそくや髪の付け油として使われ、現在は化粧品、医薬品などにも活用されている。国内にわずか三つしかない生産業者の一つが、島原市有明町にある本多木蝋工業所。古くからの製法を受け継ぐ代表の本多俊一さん(63)には、伝統産業に込めた熱い思いや商品へのこだわりがあった。

 さまざまな形や大きさの機械や道具が点在する約300平方メートルの作業場。ハゼの実の蒸し器から湯気が立ち、甘い香りが漂う。「これが、ろうのもとです」。「玉締め式」と呼ばれる手法で搾り出されたこげ茶色の液体を指さしながら、本多さんが教えてくれた。
 島原と木蝋のつながりは江戸時代までさかのぼる。島原城資料館専門員の松尾卓次さん(83)によると、1616年に初代島原藩主となった松倉重政が、需要の多かった木蝋生産のためハゼを植栽。1790年には杉谷村(現・同市千本木地区)で、ろうの含有が35~40%と多い新品種のハゼが見つかった。後に「昭和福ハゼ」と名付けられたこの品種を、92年の島原大変後に藩主の松平忠馮(ただより)が財政立て直しのため増産を指示。明治初期には200超の生産者がいるなど、島原半島は有数の産地となった。
 工業所の創業は1940年。ハゼの実の仲買などをしていた本多さんの祖父が始めた。元公立中教諭だった本多さんは、父親が亡くなった15年ほど前に家業を継いだ3代目だ。
 父の代には年間20~25トンの昭和福ハゼの実を調達。しかし、1990年から始まった雲仙・普賢岳噴火災害で木が被害を受け、実の買い付けができなくなった。現在は所有するハゼ山の5トン程度にとどまる。「収穫は10月中旬~2月。父の代には30人ほどのちぎり手がいた。今は高齢化で5人しかおらず、人手が足りない」と話す。
 江戸時代の製法を守るのが本多さん流だ。ハゼを砕いて蒸した実を圧搾機でしぼり、90度まで加熱し不純物を沈殿させて取り除く。器に流し込み常温で冷やして固めたものが「生蝋」と呼ばれ、天日干ししたものが「白蝋」。年間を通じ生蝋1トンを生産する。
 作業の核となる圧搾機は初代から受け継ぐ1972年製の玉締め式だ。上部の直径40センチほどの円柱形の石に、むしろに包んだ蒸した実を油圧で持ち上げしぼる。抽出できる木蝋成分は2割ほど。他の業者は砕いた実に薬品を混ぜて蒸し、9割ほどの成分を抽出するが「効率は悪いが、圧搾機の方がろうの純度は高い」と本多さんは強調する。
 本多木蝋工業所では和ろうそくの製造、販売のほか、生蝋を仲買人などに卸している。地域の人が絵付けした自社の和ろうそくは昨年、県特産品新作展で最優秀賞を受けた。「石油系の洋ろうそくと違い、すすがさらさらで仏像などの金箔(きんぱく)をはがさない。温かみのある明かりで、少々の風では消えない」のが特徴。和ろうそくの良さを広く知ってもらおうと、製造体験や和ろうそくをともしたコンサートなども開いている。
 本多さんは「島原の伝統産業を守り続けたい。しかし、原料となる昭和福ハゼや人手が足りず、伝統産業の灯も消えかねない。新規参入のほか、さまざまな支援が不可欠」と力を込めた。

玉締め式の圧搾機でハゼの実からろう成分をしぼり出す本多さん=島原市、本多木蝋工業所
展示されている昭和福ハゼの実と和ろうそく
生蝋を手にする本多さん

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