むつ入港40年

 「火中の栗を拾ったんだよ、市長は」と1978年の出来事について伺ったことがある。当時の佐世保市長、故辻一三さんの側近だった人に聞いた▲今月、日本初の原子力船「むつ」が佐世保に入って40年たった。放射線漏れを起こし、行き場を失った「むつ」の修理の受け入れを表明したのが辻市長だった▲被爆県こそ核の平和利用を-と市長が言えば反発が起き、造船不況の打開の糸口に-と言えば地元の商工団体が支持した。世論は割れ、当時の久保勘一知事が「原子炉を動かす鍵は県が預かる」という奇策に出て、40年前の10月16日に「むつ」が入った▲受け入れの“見返り”として知事は、長崎新幹線の優先着工を約束させる、いわゆる「むつ念書」を自民党幹部から取ったが、周知の通り、念書はただの一度も効力を発揮することなく、紙切れに終わっている▲市長が「火中の栗を拾った」とは「市民のため苦渋の選択をした」ことに違いない。ただし「火中の栗を拾う」には「危険を冒した末、ひどい目に遭う」の意味もある▲「ひどい目」と言うべきか、「むつ」受け入れはこれという果実を残さず、佐世保はただ翻弄(ほんろう)された。県民、市民の利益を見通すことのいかに難しいことか。政治の責任のいかに重いことか。40年前をたどり、その感を深くする。(徹)

© 株式会社長崎新聞社