戦力外通告を受けたスター選手たち かつて規定打席・規定投球回到達も…

戦力外通告を受けたヤクルト・成瀬、阪神・西岡、ヤクルト・由規【写真:荒川祐史】

盗塁王・聖澤、首位打者・西岡にも無情の通告

 2018年のプロ野球は開催中の日本シリーズを残すのみとなったが、レギュラーシーズン終盤からポストシーズンの期間は、戦力外通告の期間でもある。第1次通告期間はすでに10月1日~12日までで終わり、現在は第2次通告期間中。今年は一時代を築いた選手の引退が多いが、戦力外通告を受けた選手の中にも、かつては主力として活躍した選手も数多い。ここで、1シーズンでも規定打席・規定投球回に達したことがありながら、戦力外通告を受けた選手を見てみよう。

◯聖澤諒(楽天)

 2007年大学・社会人ドラフト4巡目で楽天に入団。全盛期は、チャンスメーカーとして不可欠な選手で、1、2番の上位はもちろん、下位打線でも他球団にとってはうるさい存在だった。

 3年目の2010年に、577打席517打数150安打、打率.290、6本塁打43打点をマーク。以降、2013年まで4年連続で規定打席をクリアし、12年には54盗塁で球団にとっても初となる盗塁王に輝いた。しかし、14年以降は出場機会が半減。昨年は4年ぶりに100試合を超える111試合に出場したが、代走や守備固めでの出場も多く、試合数の割に打席数は252にとどまり、今季は27試合69打席で打率.194、本塁打0、2打点に終わっていた。

 2015年には927試合連続守備機会無失策というNPB記録を樹立。2013年、球団初のパ・リーグ制覇と日本シリーズ優勝にも貢献したが、通算200盗塁まであと3個、11月3日に33歳の誕生日を迎える直前に無情の戦力外通告を受けた。

◯細川亨(楽天)

 2001年自由獲得枠で西武に入団。強肩好打の捕手として活躍した。松坂大輔らが活躍した時代の西武投手陣を巧みなリードで支え、バッティングでも、打率は高くなかったが、バントの構えからのヒッティングなど意表を突くしぶとい打撃を持ち味とし、07年、08年と規定打席に到達。08年にはキャリアハイの16本塁打をマークするなど、パンチ力もあった。

 その後、10年オフに国内フリーエージェント(FA)権を行使してソフトバンクに移籍。同年、14年の日本一に正捕手として貢献した。しかし、15年以降は故障に悩まされ、甲斐、高谷らの台頭もあって出場機会が激減。16年オフにコーチ就任を打診されたが、現役にこだわり、自由契約となって楽天に移籍した。

 しかし昨年は20試合、今年はわずか2試合の出場に終わり、再び戦力外通告を受けた。

◯西岡剛(阪神)

 02年ドラフト1巡目でロッテに入団。2年目の04年から頭角を現し、2005年には41盗塁をマークしてパ・リーグ最年少記録の21歳で盗塁王を獲得した。以来、06年には2年連続盗塁王を獲得、10年には.346で首位打者を獲得。ロッテ在籍中の05年~10年までと、MLBツインズから国内へ復帰し阪神へ移籍した13年の7シーズンで規定打席に到達し、06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)と08年北京五輪で日本代表としてもプレーした。

 11年、MLBのツインズに移籍するが、走者と交錯して左足を骨折するなどの故障もあり、2年目はシーズンのほとんどをマイナーで過ごし、13年に阪神から国内復帰。復帰初年こそ「1番・二塁」として打率.290、144安打を放つ活躍を見せたが、その後は故障に悩まされて出場機会が減少。16年には左アキレス腱を断裂する重傷を負い、17年は32試合、18年は25試合の出場にとどまっていた。10月1日に戦力外通告を受けたが、球団発表前に本人が自身のインスタグラムでその事実を明らかにした。

打撃不振で主力の座を奪われた大松、荒波

◯大松尚逸(ヤクルト)

 04年、ドラフト5巡目でロッテに入団。06年から頭角を現し、08年からはクリーンアップの一角を占めて.262、24本塁打、91打点の成績を残した。以降、10年まで3年連続で規定打席をクリアし、3年間で59本塁打を放ってロッテ屈指のスラッガーとして活躍。ところが11年から打撃不振に陥り、角中らの台頭で出場機会を失った。一塁手へのコンバートも行われたが、外国人選手や、MLBから国内復帰した井口(現監督)らとのポジション争いに敗れて出場機会が得られず、16年には右アキレス腱を断裂。球団からコーチ就任を打診されたが、オフに退団してヤクルトに移籍した。

 ヤクルトでは左の代打として起用され、昨年はサヨナラ本塁打を2試合記録するなど持ち前の長打力と勝負強さを見せたが、今年は1軍出場機会がなかった。

◯荒波翔(DeNA)

 2010年ドラフト3位で横浜(現DeNA)に入団。12年には開幕でスタメン出場して以降、主に1番打者として141試合出場で打率.268、135安打、24盗塁をマーク。翌13年も2年連続で規定打席をクリアし、.258、115安打、19盗塁の数字を残し、守備でもセ・リーグトップの16補殺を記録する強肩ぶりを見せた。

 しかし、その後は打撃不振に悩み、出場機会は年々減少。今季は11試合、11打数ノーヒットに終わっていた。

◯田中浩康(DeNA)

 04年、自由獲得枠でヤクルト入団。プロ2年目の06年から二塁や遊撃のバックアップとして1軍に定着し、07年には二塁のレギュラーとなって早大時代の先輩・青木と1、2番コンビを組む。07年から12年までの6年間、規定打席をクリア。10年には打率.300で自身初の3割をマークするが、13年以降は山田哲人の台頭でポジションを奪われ、16年には出場31試合と激減。指導者転向の打診を断り退団、DeNAに移籍した。

 DeNAでは昨年、66試合175打席に立ち、7月には1000本安打を達成。日本シリーズ出場にも貢献したが、今年は31試合出場にとどまり、戦力外通告を受けて16日に引退を発表した。

◯成瀬善久(ヤクルト)

 2003年、ドラフト6巡目でロッテに入団。06年に1軍初登板して5勝5敗の成績を残し、07年には24試合16勝1敗、防御率1.82、6完投4完封とエース格に成長して最優秀防御率、最高勝率の2冠に輝く。NPB屈指の技巧派左腕として、高校の後輩の西武・涌井(現ロッテ)、日本ハム・ダルビッシュ、楽天・田中将大(現ヤンキース)、ソフトバンク・杉内(元巨人、引退)らとともに、パ・リーグのスーパーエースの時代を形成した。

 07年~12年に6年連続で規定投球回をクリアし、08年には北京五輪日本代表、2010年にはクライマックスシリーズのファイナルステージで、ソフトバンクを破って3位からの“下剋上”に貢献してシリーズMVPを獲得。12年は初の200イニング投球を達成(200回2/3)し、14年も規定投球回数にわずか1回1/3足りない142回2/3と活躍したが9勝11敗と負け越して、国内FA権を行使しヤクルトに移籍した。

 しかし、ヤクルトでは3年間で6勝11敗の成績にとどまり、17年は0勝1敗とついに未勝利のまま終わった。そして4年目の今シーズンは1軍登板がなく、ついに戦力外通告を受けた。

◯由規(ヤクルト)

 2007年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入団。高校時代、夏の選手権で時速155キロを出して中田翔(日本ハム)、唐川侑己(ロッテ)とともに「高校ビッグ3」と呼ばれ、プロ入り後も剛速球を武器に先発ローテーション入り。プロ入り3年目の2010年、167回2/3を投げて初の規定投球回に達し、12勝9敗、防御率2.86。大谷翔平(当時日本ハム)に破られるまで、日本人投手最速の時速161キロをマークするなど、ヤクルトの先発の柱として将来は明るかった。

 しかし、11年以降は右肩の痛みに悩まされ、15年オフには育成契約に移行。ブランクを乗り越えて16年に5年ぶりの勝利を挙げ2勝3敗、昨年も10試合3勝5敗と復活への道をたどっているかに思えたが、今季は7試合1勝2敗の成績で戦力外通告を受けた。本人は現役続行の意向。

 こうして見ると、選手としてのピークを過ぎてなお現役にこだわり、退団して移籍したものの、結果を残せず戦力外通告を受けた選手が多い。キャリアをどう終えるかは本人の自由だが、ファンとしてはかつて活躍した選手が戦力外通告を受けた報を聞くのは忍びない気持ちもあるだろう。特に、最近は各球団が若手育成にシフトしていることもあり、ベテランの居場所が狭くなっているのは事実。この中で、来年もユニホームを着続けられる選手は出てくるのだろうか。(Full-Count編集部)

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