殿堂入り一発合格の名打者・マッコビーが80歳で死去

メジャー史上屈指の強打の左打者であり、1986年に有資格初年度でアメリカ野球殿堂入りを果たしたウィリー・マッコビーが闘病生活の末、日本時間11月1日に80歳で亡くなった。かつてウィリー・メイズが「彼は私が一緒にプレイしたどの選手よりも遠くへボールを飛ばすことができた」と語ったほどの長打力の持ち主だった。

1959年にメジャーデビューを果たしたマッコビーは、59試合のみの出場ながら打率.354、13本塁打、OPS1.085の好成績をマークして新人王を受賞。初めて規定打席に到達した1963年に44本塁打を放って初タイトルを獲得すると、1968年からは3年連続でリーグ最高のOPSをマークし、同年から2年連続で本塁打・打点の二冠を獲得したほか、1969年にはMVPに選出された。

1974年にパドレス、1976年途中にアスレチックスへ移籍したものの、1977年にジャイアンツへ復帰。22年のメジャー生活のうち19シーズンをジャイアンツで過ごし、通算2588試合に出場して2211安打、521本塁打、1555打点を積み上げた。オールスター・ゲームには6度選出され、シーズンMVPに輝いた1969年にはオールスターMVPも獲得。通算521本塁打はナ・リーグの左打者ではバリー・ボンズ(762本塁打)に次ぐ歴代2位の数字であり、通算満塁本塁打18本は歴代5位タイとなっている。

マッコビーの名前はジャイアンツの本拠地AT&Tパークの右翼席後方にある入り江に残されており、スプラッシュ・ヒットが飛び込むこのエリアは、マッコビー自身がこの球場でプレイしたことがないにもかかわらず、「マッコビー・コーブ」と呼ばれている。

かつて殿堂入りの名将スパーキー・アンダーソンは、マッコビーについて「彼は球界で最も恐れられた男だ。みんな彼の近くにボールを投げようとしていた。もし彼が600回打席に立って、対戦する投手が真正面から勝負していれば、彼は80本塁打を打ったかもしれないよ」と語っていた。その強打は、「マッコビー・コーブ」の名前とともに、永遠に野球ファンの記憶に刻まれることだろう。

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