映画編集者岸富美子の半生描く 劇団民芸「時を接ぐ」

 気鋭の劇作家黒川陽子の書き下ろしで舞台化された「時を接(つ)ぐ」(演出・丹野郁弓)。戦中戦後の激動の時代を駆け抜けた女性映画編集者の半生を描いたこの舞台は、映画界という「男社会」で自立する一人の女性をしなやかに表現してみせた。

 その女性とは、原作「満映とわたし」(文芸春秋)を石井妙子と共に著した岸富美子(日色ともゑ)。1920年、4人きょうだいの末っ子として生まれ、家計を守るために15歳で編集助手として映画の世界に飛び込んだ。

 10代の少女時代から結婚、出産を経て高齢となるまでの富美子を、日色が表情や語り口を繊細に変えつつ、終幕まで違和感なく演じきった。2時間の公演があっという間に感じられるほど、その変幻自在な演技に引き込まれた。

 「うちらはただのお手伝いや。出しゃばったことはしたらあかんで」

 男性に混じり編集の技を見て覚えようとした富美子に、女性の編集助手が言い放つ。女性の地位の低さが露骨に表れるせりふが随所にちりばめられ、リアルな描写にやりきれない思いになる。

 それでも富美子の表情は凛(りん)としている。「自分の力で、自分にふさわしい場所を作り出せる人間になりたい」。女性が働くには厳しい時代、着実に技術を磨き編集者として確かな信頼を勝ち得る姿は、今もなおもがきながら生きる女性の背中を押してくれるものとして胸に深く刻まれている。

 やがて旧満州(中国東北部)に渡り、東洋一とうたわれた映画撮影所、満州映画協会(満映)に職を得る富美子。日本の敗戦後も現地に残り、中国の映画人と民族の違いを超えて築いた信頼関係には、「個」として生きる尊さがひしひしと感じられた。

 女性の尊厳や日本の加害の歴史にも真っ正面から向き合った本作。劇団民芸らしい誠実な舞台だった。10月1日の公演を観劇。

舞台「時を接ぐ」の一場面から

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