歌があったからやってこられた  尾崎左永子が 「短歌集成」刊行

 鎌倉市在住の歌人、尾崎左永子(90)が第一歌集から最新の未完歌集まで全14歌集をまとめた「尾崎左永子短歌集成」(沖積舎)を刊行した。「歌があったからやってこられた」と間もなく91歳を迎える尾崎と、これまでの歩みを振り返った。

 1944年、戦争の影響で東京女学館中等科から1学年飛ばして東京女子大国語科に入学。同大在学中の17歳の頃、斎藤茂吉を師とする佐藤佐太郎の弟子となった。

 「女子大に行く途中の本屋で先生の歌集『しろたへ』を見つけて。『うわ、すごいな、先生にするならこの先生しかいない』と思った」と尾崎。

 戦時中は学徒動員に駆り出され、戦闘機のエンジンのガソリン流量を試験していたという。半地下のカフェテリアが避難所で、警報が出ると「源氏物語」を持ち込んで読んだ。

 「3週間働いて、授業が1週間。学問に対する飢餓感が強かった。明日死ぬかも、と思いながら読んでいた。その頃読んだり、習ったりしたことが今一番身についている」

 そんな体験から反戦への思いが強い。2015年の歌集「薔薇(ばら)断章」では、「戦争を体験せざる男らが政治動かす現世の恐怖」と詠む。

 第一歌集「さるびあ街」を1957年に刊行。さっそうとした20代の歌は、日本歌人クラブ推薦優秀歌集となった。当時は珍しかった離婚と女性の自立を詠んだ歌集でもあった。つらい心情を詠んだ作品も多く、「歌があったからやってこられたこともある」と穏やかにほほ笑む。

 その後は、放送業界に入り、NHKのドキュメント番組やラジオ番組の台本などを手掛けた。65年には再婚した経済学者・尾崎巌のハーバード大研究留学に伴い、幼い娘を連れて渡米。

 66年に帰国したが、作歌は中断し、「源氏物語」をはじめとする古典研究に打ち込んだ。84年にエッセー集「源氏の恋文」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。歌壇に復帰したのは、前年の83年だった。

 以来、鎌倉の暮らしを意識した「風の鎌倉」、7年間の闘病の末、亡くなった夫への感謝と鎮魂を込めた「椿くれなゐ」、一人娘を病で見送り、これが最後の歌集とまとめた「薔薇断章」など、短歌という表現形式を通して、「自らの本性を確かめるための闘い」を続けてきた。

 「17年も短歌から遠ざかっていたので、歌人と呼ばれると今でも申し訳ない気持ち」と言うが、「短歌とは韻律を持つ現代詩」と定義し、「隠れ韻律」と名付けた定型破りを試みるなど現代に生かす工夫を凝らす。「短歌は口語化していくかもしれないが、定型を持つことは今後も続いていくだろう」と短歌の行く末に思いをはせた。

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