地域に支えられ70年 横須賀の児童養護施設「春光学園」

地域に支えられ70年 横須賀の児童養護施設「春光学園」

 家庭環境などに課題を抱えた子どもを預かる「春光学園」(横須賀市小矢部)が、1945年12月の開園から創立70周年を迎える。第2次大戦後の引き揚げ孤児受け入れに始まり、物心両面で地域住民に温かく支えられた児童養護施設の歩みは、横須賀の戦後復興史にも重なる。11月29日の記念式典に合わせ、学園は多数の感謝状を贈ることで地域とともに祝うつもりだ。

 「敗戦の混乱から振り返るものもなくて、捨てられた犬の子猫の子のように、痩せ衰えた骨と皮ばかりの孤児が30人あまり、当てもない引き取り人を待っていた」。横須賀の浦賀港に近い鴨居地区に置かれた「引揚同胞一時収容所」の惨状を、学園創始者の一人の樋口宅三郎が形容した記述が同学園の70年史に残っている。

 終戦直後の浦賀は全国有数の引き揚げ港。南洋諸島などの戦地で親と離別した子も少なくなかった。樋口が目の当たりにしたのは、重度の栄養失調で歩くこともままならない子たちの姿だった。

 新聞記者で、授産施設などを運営する「横須賀隣人会」メンバーでもあった樋口らは、旧海軍の高等官宿舎などを関東財務局から賃借。収容施設「春光園」を開設した。

 だが、その道のりは平たんではなかった。配給はサツマイモばかり。せめて、すいとんを食べさせたいと市に直訴したり、身寄りのない子どもの将来を思って架空の保護者名で戸籍をつくったり…。「まさに波瀾(はらん)万丈の草創期」(森田常夫理事長)といえた。

 当時の様子を後世に伝えるため、学園は過去の資料を整理し、245ページの冊子にまとめている。浮かび上がるのは、衣食に数え切れない支援を受けてきた歴史。週1回、リヤカーに載せた石油缶で届く米軍関係者の残飯は、創立当初の在園生の思い出の品だ。チキンカツやビフテキが入っていた日もあれば、ジュースやコーラの混ざった液体ばかりの日も。それでも、園生は「ヤーイ。栄養食がきたぞ」と手放しで喜んだという。

 中学入学を控えた園生に60年間、学生服を贈り続ける洋品店があれば、毎年のように旅行をプレゼントする奉仕団体も。小林秀次園長は「地域のサポートなしに学園の歴史は語れないと、あらためて実感した」と話す。

 29日の記念式典に合わせて用意した感謝状は実に119人分。森田理事長は「(子どもの貧困など)社会の要請があって、この施設が続いている」と、定員80人の施設に現在も71人の園生がいることに触れ、こう続けた。「身内だけで節目を祝うのではなく、これまで大勢の方から支援をいただいたことに感謝する場にしたい」

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