アーセナルとリヴァプール、両クラブに所属したスター選手11名

今週末に控えているビッグマッチ、アーセナル対リヴァプール。プレミアリーグの古豪同士が戦う注目の試合だ。

歴史が長いクラブだけに、どちらにも所属した選手は多い。『FourFourTwo』の記事から11名をピックアップした。

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ジム・ファーネル

1962年にバーンリーから当時2部だったリヴァプールへ移籍したゴールキーパー。昇格に貢献したものの練習で指を怪我したため、トミー・ローレンスにポジションを奪われた。

1963年には1万5000ポンド(およそ220万円)でアーセナルに売却され、公式戦167試合に出場。守護神として活躍し、1968年にロザラム・ユナイテッドへと8000ポンド(およそ110万円)で売却されている。

アレックス・マニンガー

1997年にデイヴィッド・シーマンのサブとしてアーセナルにやってきたマニンガー。いきなりシーマンが怪我をしたためいきなり出場機会を獲得し、マンチェスター・ユナイテッド戦の勝利も経験した。5年間で64試合に出場し、2002年にエスパニョールへ去った。

そして2016年にはリヴァプールに加入。出場機会はなかったが、サードキーパーとしてチームを後ろから支え、現役を引退した。

ジミー・カーター

ミルウォールで活躍した後、ケニー・ダルグリッシュ監督によってリヴァプールに引き抜かれたウイング。ただ、その指揮官がすぐに辞めてしまったため、10月にはもうアーセナルへ移籍した。

ハイベリーを新天地とした彼はFAカップとリーグカップ優勝などを経験したものの、4年間で25試合にしか出場できなかった。

コロ・トゥレ

アーセナルの歴代最高「お買い得」選手としても知られるコロ・トゥレ。ASECミモザから2002年にイングランドへやってきて、センターバックにコンバートされて大ブレイクした。

その後マンチェスター・シティを経て2013年にフリートランスファーでリヴァプールに加入。14試合にプレーした後退団し、セルティックへ移籍していった。

マイケル・トーマス

トーマスがよく覚えられているのは、1988-89シーズンのアーセナルで決めたゴールだ。リヴァプールを相手に最終節で得点し、18年ぶりのタイトルをもたらした。

そして1991年12月にはアーセナルのジョージ・グラハム監督と対立してリヴァプールと契約。124試合に出場したが、度重なる怪我によってなかなか満足な活躍を見せられなかった。ロンドン出身だがリヴァプールに在住しており、今は警備会社を経営。

アレックス・オックスレイド=チェンバレン

2011年にサウサンプトンからアーセナルに加入。デビュー戦はマンチェスター・ユナイテッドに8-2で負けるという悔しいものだったが、198試合に出場して20ゴールを決めた。

そして昨年夏にリヴァプールへ。またもデビュー戦は0-5でマンチェスター・シティに負けるというとんでもない試合だったが、クロップ監督の下で才能を再び開花させた。

ヨッシ・ベナユン

ウェストハムで活躍したイスラエルの天才MFベナユン。2007年にリヴァプールと契約し、2009年のバーンリー戦ではハットトリックも決めた。

2010年にはチェルシーに移籍したが、その次年度にアーセナルへとローン移籍。19試合に出場し、4ゴールをあげていた。

ジャーメイン・ペナント

ノッツ・カウンティから1999年にアーセナルへ移籍し、リーグカップでは16歳と319日という最年少デビュー記録を作った天才だったが、数々のトラブルを引き起こす問題児としても有名だった。

ただ何度かのローン移籍を経て2006年にリヴァプールに加入し、81試合に出場。2007年のチャンピオンズリーグ決勝でも90分プレーしている。

ジェフ・ストロング

1937年に生まれたストロング。工作機械の修理士として働きながらスタンリー・ユナイテッドでプレーし、1957年にアーセナルへ。137試合に出場し、77ゴールを決める活躍をした。

そして1964年には4万ポンド(およそ570万円)でリヴァプールへ。ポジションをフォワードから後ろに移しながら主力としてプレーし、201試合で33ゴールを決めている。2006年の「リヴァプールファンに衝撃を与えた選手TOP100」投票では95位にノミネートされた。

ニコラ・アネルカ

ヴェンゲル監督が17歳でPSGから引き抜いてきた天才FWは、若くしてアーセナルで大ブレイクを果たし、レアル・マドリーへとステップアップしていった。

ただそこではあまり活躍できず、古巣PSGに戻った後、2001-02シーズンの後半に短期ローンでリヴァプールへ。その後クラブは彼を買い取らず、エル・ハジ・ディウフを代わりに獲得して大失敗した。

レイ・ケネディ

1969年にアーセナルでのデビューを果たしたケネディ。1971年にはリーグ優勝に導き、最終節のトッテナムとのダービーでゴールを決め英雄となった。

そして1974年に当時のクラブ記録である20万ポンドでリヴァプールへ。アンフィールドではFWからMFにコンバートされたが、393試合に出場して3つの欧州カップ、5回の国内リーグ優勝に貢献した。

アーセナル、そしてリヴァプールの両方で18個のトロフィーを掲げた、まさに2クラブの英雄という存在だ。

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