国産計画を葬られた空自戦闘機 その後の30年 写真特集 F2後継機構想の前に

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三菱重工業・小牧南工場で行われたF2戦闘機の最後の納入式典=2011年9月27日

 1980年代に日本は航空自衛隊戦闘機の国産開発を目指したことがある。FSX(次期支援戦闘機)という言葉に聞き覚えがある人がいるかもしれない。結局は米側から「国産を強行するなら、エンジンを供給しない」とすごまれ、政治問題化して米国製F16をベースにした「日米共同開発」をのまされる。約30年前のことだ。しかし、中枢神経とも言える飛行制御ソフトは米側から供与されず、開発費などは日本側が負担、コストは異常に膨らんだ。1機当たりの見積もりは当初の80億円から120億円となり、F2は当時史上最高額の戦闘機とさえ言われた。そのF2が2030年代から耐用年数を超える。今、日米共同開発を含めてさまざまな構想も出ている。やがて退役を迎えることになるF2が歩んだ道のりを写真で振り返り、これからの教訓を得たい。(共同通信=柴田友明)

1987年5月に三菱重工が公開した次期支援戦闘機(FSX)のコンピューター画像=三菱重工名古屋航空機製作所

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会談を経て米機F16ベースの日米共同開発が決まり、FSX国産計画は葬られたことをイメージした1987年6月の日米防衛首脳会談とF2戦闘機のコラージュ

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1995年1月に公開された次期支援戦闘機(FSX)の試作1号機=愛知県・豊山町の三菱重工業小牧南工場

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地上滑走試験をする次期支援戦闘機(FSX)の試作機=1995年9月12日、航空自衛隊小牧基地

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 日米で共同開発した次期支援戦闘機F2の量産第1号機=2000年9月25日午前10時15分、愛知県の三菱重工業小牧南工場

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津波に流され建物に突っ込んだF2戦闘機=2011年3月14日午後、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地(代表撮影)

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最後のF2戦闘機の納入式典でテープカットする三菱重工の大宮英明社長(右端)と下条みつ防衛政務官(右から3人目)ら=2011年9月27日、愛知県の三菱重工小牧南工場、肩書は当時

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共同訓練でF2戦闘機を整備する航空自衛隊の隊員たち=2012年2月22日午後、グアムのアンダーセン空軍基地(共同)

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東日本大震災で被災し、修理を終えて航空自衛隊三沢基地に到着したF2戦闘機=2015年4月21日午後、青森県三沢市

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北朝鮮による大陸間弾道ミサイル発射の強行を受け、九州周辺の上空で米空軍機と共同訓練を行う航空自衛隊のF2戦闘機(下)=2017年7月30日(航空自衛隊提供)

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日本海上空で米原子力空母ニミッツ艦載機のFA18戦闘攻撃機(上)と訓練する航空自衛隊のF2戦闘機=2017年11月13日(航空自衛隊提供)

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接触し、垂直尾翼の上部が損傷したF2戦闘機=2018年11月2日午後、航空自衛隊築城基地(航空自衛隊提供)

 防衛省は空自F2戦闘機の後継機の位置づけについて、年末に策定する「中期防衛力整備計画(中期防)」に明記する方針だ。30年前に自主開発を断念させられたという轍を踏まず、戦闘機開発を何とか主体的に進めたい日本。しかし、米政権の行方など多くの政治的作用に影響されることは間違いない。

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