ラーメン屋からアート活動 グラフィックデザイナー 河合隼人さん

アートを目指すようになったきっかけは?

河合隼人さん 7歳で来米。コネティカット大学を卒業後、ボストンを基盤にTシャツデザインや飲食店の壁画などを手掛ける。今年、オンラインストア「ボストン・ティー・パーティー」を開始。http://www.hjkay.com/

最初は医師を目指していて、大学では化学を専攻しましたが、化学は物事の繰り返しが多くて、全く好きになれませんでした。同時に、幼いころから好きだったアートの世界で活躍したいという気持ちが日に日に強くなり、悩み抜いた結果、大学3年目から専攻をアートに変えました。

大学卒業後は、ボストンを拠点にアルバイトをしながら、アーティストとしての仕事を探していました。「夢を語れ」というラーメン店で働いているときに、店からオリジナルTシャツの制作を頼まれ、それをきっかけに、口コミで仕事が入ってくるようになり、徐々にアート活動が広がっていきました。

ボストンの「頑固一鉄ラーメン」プロビデンス店での最新の壁絵。映画「タンポポ」の名シーンを蘇らせる作品となっている

現在の主な活動を教えてください。

レストランの壁画、ロゴやユニフォームのデザイン、グッズ販売などをしています。また、自分のデザインしたイラストをTシャツにしたら楽しいと思い、今春「ボストン・ティー・パーティー」という、オンライン販売の会社も立ち上げました。

仕事のモットーは?

ロゴやポスターなどのデザインは、目に飛び込んで来た時の第一印象が勝負。依頼者が思い描くデザインを最大限に形として表現するために、ディスカッションや構想にじっくり時間を掛けるようにしています。

仕事で一番大変なことは何ですか?

僕はいろいろな表現スタイルを持っているおかげか、ありがたいことに仕事はたくさん入ってくるようになりました。でも、アイデアの捻出と細かい作業に時間が掛かってしまうため、余暇が取れないのが目下の悩みです。友人や家族と過ごせる時間が少なくなってしまいました。

仕事で喜びを感じる時は?

クライアントが「あなたのことを信じて任せるから、いいものを作って」と、僕のコンセプトを信じて仕事を頼んでくれる時が、何よりもうれしいです。

作品に込めているコンセプトは何ですか?

僕は日本生まれのアメリカ育ちで、幼いころから日米を行き来し、7歳のときにアメリカに移住しました。だから、日米どちらのグループにも入れなくて、僕は何者なのか? とアイデンティティーに悩む時期が続きました。 

でもアートをやるようになって、アートとは本人の人生の表し方だと気が付きました。自分の立ち位置をアートに生かし、日米両方の文化を融合させた、自分だけの文化を創り上げてきました。以来、日米の文化の架け橋になるアートを目指しています。

今後のビジョンは?

いずれは自分が好きなストリートウエアを作りたいというのが一番の夢で、そこを目指しています。会社を作ったのも、もっとマーケティングなどを学んで、ボストンのアパレル業界での経験を積むためです。今後は、日本と西洋文化を融合させたアパレルを作ってみたいです。

『若者の日常チェック!』

友人や家族に「あなたのヒーローとは誰ですか?」とインタビューして、4x6フィートの巨大パネルにそれぞれの人物をコラージュした作品を制作した
毎年の恒例儀式のように、男だらけのキャンピングトリップを行っている。彼らは夢を支えてくれる大事な親友だ

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