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11月8日は、サッカー日本代表が1992年のアジアカップを制してからちょうど26年となる。
日本代表は2000年以降、同大会を3度(2000、2004、2011年)制覇しているが、1992年時点での優勝回数はゼロ。まだプロリーグもなく、アジアのアウトサイダーに過ぎない存在であった。
しかし日本で初開催されたこのアジアカップで初制覇を成し遂げると、翌年のJリーグ開幕、1998年ワールドカップの初出場を経て、“アジアの盟主”としての確固たる地位を築き上げることとなる。
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※画像は1994年ワールドカップ予選のもの
つまり、広島で開催されたこの年のアジアカップこそが冬の時代が続いた日本サッカー界に夜明けを告げる重要な大会となったわけだが、そんな“歴史を変えた”優勝メンバーたちは現在何をやっているのだろうか?
1 - GK 松永 成立(横浜マリノス、当時30歳)
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→横浜F・マリノスのGKコーチ
1990年代前半の日本を代表するGKで、Jリーグ開幕時に高い人気を誇った松永氏。ただこの大会では準決勝の中国戦で退場したため決勝に出場できず、翌年は守護神としてあの「ドーハの悲劇」を味わうこととなった。
2 - DF 大嶽 直人(横浜フリューゲルス、当時24歳)
→伊賀フットボールクラブくノ一(女子)の監督
3 - DF 勝矢 寿延(横浜マリノス、当時31歳)
→セレッソ大阪のスクールコーチ
4 - DF 堀池 巧(清水エスパルス、当時27歳)
→順天堂大学サッカー部の監督
5 - DF 柱谷 哲二(ヴェルディ川崎、当時28歳)
→ギラヴァンツ北九州の監督
6 - DF 都並 敏史(ヴェルディ川崎、当時31歳)
→解説者
7 - DF 井原 正巳(横浜マリノス、当時25歳)
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→アビスパ福岡の監督
現役時代、「アジアの壁」と呼ばれた井原氏は指導者として活躍中。先月A代表デビューしたDF冨安健洋は教え子であり、彼の“後継者”と呼んでもいい存在だろう。
8 - FW 福田 正博(浦和レッズ、当時25歳)
→解説者
9 - FW 武田 修宏(ヴェルディ川崎、当時25歳)
→解説者
10 - MF ラモス 瑠偉(ヴェルディ川崎、当時35歳)
→ビーチサッカー日本代表の監督
11 - FW 三浦 知良(ヴェルディ川崎、当時25歳)
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→横浜FCの現役選手
大会の最優秀選手に輝いたカズ。現在も現役でプレーする日本サッカー界の“キング”は後年、この年のアジアカップを「日本サッカーが変わった大会だと思います」と証言している。
12 - MF 山田 隆裕(横浜マリノス、当時20歳)
→メロンパン販売を経てバー経営者
13 - DF 阪倉 裕二(ジェフ市原、当時25歳)
→長野パルセイロの監督
14 - MF 北澤 豪(ヴェルディ川崎、当時24歳)
→日本サッカー協会理事、日本障がい者サッカー連盟会長、解説者
15 - MF 吉田 光範(ヤマハ、当時30歳)
→サッカーナビゲーター
16 - FW 中山 雅史(ヤマハ、当時25歳)
→アスルクラロ沼津の現役選手
17 - MF 森保 一(サンフレッチェ広島、当時24歳)
→日本代表と東京五輪U-23代表の監督
18 - FW 神野 卓哉(横浜マリノス、当時22歳)
→横浜FCシーガルズ(女子)の監督
19 - GK 前川 和也(サンフレッチェ広島、当時24歳)
→FCバイエルン・ツネイシのスクール統括チーフ兼GKコーチ
20 - FW 高木 琢也(サンフレッチェ広島、当時24歳)
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→V・ファーレン長崎の監督
「アジアの大砲」の異名を誇った高木氏は、1992年11月8日に広島ビッグアーチ(現在の呼称はエディオンスタジアム広島)で行われたサウジアラビア代表との決勝戦でゴールを決め、日本を初めてアジアの頂点へと導いた。
なお、当時の日本代表を率いたオランダ人のハンス・オフト氏は指導者を引退し、現在はスペインのアルメリアに在住しているという。