はるばると中国まで、映画のロケ地に行ってきた。
向かった先は、深セン(シンセン)市・大芬(ダーフェン)。
この街を舞台にしたドキュメンタリー映画『世界で一番ゴッホを描いた男』(新宿シネマカリテをはじめ全国公開中)にすっかり魅せられてしまったのだ。

『世界で一番ゴッホを描いた男』(原題『チャイナズ・ヴァン・ゴッホ』)。
中国・深セン市の大芬・油画村(村というよりは地域を指す)へ出稼ぎにやってきて、独学で油絵を学び、ゴッホの複製画を20年以上描き続ける男・趙小勇(通称・シャオヨン)の話だ。
映画では、深センという大都市の小さな油画村に生きるシャオヨンが、ゴッホに向き合い、次第にゴッホに取り憑かれていく様子が描かれている。
シャオヨンは自問する。
「俺は画工なのか? それとも芸術家なのか?」
ゴッホに取り憑かれ、資本主義の淵を覗いてしまった男の話に魅せられてしまった私。
週刊文春10月25日号のシネマチャートで“思わずあの村を覗いてみたくなった”と書き記したのだが、本当に訪ねてみることになるとは……。

10月、マカオと香港を結ぶ世界最長の海上橋「港珠澳大橋」の開通に向けて香港に滞在していた。ふと、Googleマップを開いて食い入るように大芬村を探し始める。
「香港から近いじゃん。もしかしたら行けるかもしれない!」
なんと、9月に広深港高速鉄道も開通したばかり。
時速300キロと言われる噂の高速鉄道にも乗ってみたい。
香港側の西九龍駅から福田(フーティエン)駅まで、高速鉄道で15分ほど。78香港ドル(1200円弱)。
福田から大芬までは地下鉄で乗り換えなしで30〜40分ほど。5元(90円弱)。
中国には過去に何度か渡航したが、どれもテレビの取材だったので、ビザや様々な手続きはスタッフが代行してくれていた。
ひとりで中国へ渡航するには、いろいろ難関もあるようだ。

早速、中国事情通のトモダチに相談すると、困った時の為に、深セン在住の起業家A君を紹介してくださった。
A君は深センから大芬村までのアクセス、必要な地図アプリやSNSなどの
詳細を懇切丁寧に教えてくれた。
私はそこで初めて、中国ではGoogleが使えない事や、SNSならWechat(ウィチャット)を使う必要があるという事実を知らされる。
「中国のシリコンバレー」と呼ばれる都市・深セン地区。
私はまるで大きなミッションを達成するかの如く、旅の計画に燃えた。
香港の知人から「本当にお一人で、ガイドなしで?」と心配される。
開通したばかりの高速鉄道は激混みだというし、深センはスリも多い。
中国語に堪能じゃない女性が単身でタクシーに乗ったりするのは心配だとも。
知らない土地をリンパ浮腫の足で一人歩く自信もなかった。
しかし、そんなことで私は怯まない!
なんとかなる。どうにかなる。
私は生まれて初めて、自分の足で中国深セン地区へ渡った。

高速鉄道の香港側の駅「香港西九龍駅」。
鉄道オタクじゃなくても、この空港並みの巨大な駅構内に驚くだろう。
外国人観光客のほか、中国大陸にいる中国人が大挙して押し寄せてこの香港にやってくることを考えたら、このくらいのキャパは必要なのかもしれない。
香港好きな私にとって、西九龍駅にはちょっと複雑な思いもある。
この駅の下にイミグレーションがあり、香港領域にありながら、中国本土の法律が適用されるというのだ。
一国二制度の香港が中国化されていくことに対しては、香港市民の中に反発する声もある。
いろいろ複雑な思いも孕みながら、新しい何かを受け入れることも大事。
なにごとも想像力と経験だ。
北京から香港まで9時間で結ぶ最新の高速鉄道に乗っていざ深センへ。
たった15分の高速鉄道の旅。タイムスリップな予感にワクワクする。

香港〜中国の移動には早速いくつもの難関が私を待ち受けていた。
香港側とはいえ、西九龍駅で高速鉄道の切符を買うのにまずひと苦労。
噂のように2時間待ちではなかったものの、外国人は自動発券機では買えないので、構内の係員にあっちだこっちだと翻弄されることしばし。
やっと買えた切符を手に、今度はイミグレーションでやや緊張。
香港側は難なく出国できた。
中国側のイミグレで、なぜか延々と行列に並ばされている外国人の列に。
下手すると乗り遅れる危険性があるくらい列は牛歩並みだ。
遅刻したところで責任をとってくれるわけでもない。
私はふと、人民でごった返す1980年代の中国の北京駅を思い出す。
さすがに動かぬ行列のひとびとをみて、数少ない中国側係員が窓口を増やし始めた。
中国側イミグレでは、ロボットボイスの機械によって、顔認証、両手の指紋認証をとられる。
「私の存在は習近平主席の中華人民共和国に知れ渡ったのだ!」
などと、意味なくドキドキしながら、なんとかイミグレ通過。
中国側に入った途端、場の雰囲気がガラリと変わる。
中国国歌である「義勇軍行進曲」が脳内に轟き、五星紅旗が翻るイメージ。
前進! 前進!
駅構内には太くて目立つ黄色い線がある。
これは国境ラインだったが、散々待たされた私には、その黄色すらどうでもよくて、早く列車のホーム「月台」(中国語でホームの意味)まで辿り着きたい思いに駆られた。
腹ペコ、のども乾いていたが、列車に乗ればなんとかなる。
高速鉄道の駅弁とお茶に希望を託し、やっと月台まで辿り着く。

銀色に赤いラインの面長フェイスの高速鉄道「復興号」が写真に収まらぬ最速で到着。せっかちなのかすぐに乗車のベルが鳴り響く。
私の席は二等。
車内は清潔で、新しい車両のようだ。
後ろの車両にカフェテリアがあり、弁当や飲み物が売っていた。
早速、売り子が座席にやってきたので、何か買おうと思ったが、中国元がない。 香港ドルは使えず、クレジットカードも無理。
「ユニオンペイかWechatペイはないか?」と聞かれたがそれもない。
結局、ここでも空腹とのどの乾きを我慢するしかなかった。

深センの福田駅まで、車窓の景色はほぼトンネル。
トンネルを抜けると、そこは中国だった。
中国の福田駅はアジア最大、ニューヨークのグランドセントラルよりも広い地下鉄道駅だ。
広すぎて歩くのがおっくうになるほど。
いよいよここから先は中国元を手に入れないとどうにもならない。
されど駅構内、歩けど歩けど両替所らしきところは見つからない。

とにかく地下構内が広すぎる。
地上に出てさらに、おったまげた。
深センの福田は東京よりもはるか高層な建物ばかり。
世界ランキング5位という平安国際金融中心ビルを見上げながら、口をぽかんと開けたまま、あたりをぐるりと360度見回した。
「ここは……どこなんだ?」

まるで天安門事件以降、何十年も中国から離れて暮らしていた女子が久々に中国に戻ったら、えらい都会に変貌した故郷に困惑しているという感じ。
香港国際空港には深セン熱烈歓迎的というどでかい広告が目立つ。
香港空港から深センへのアクセスは高速鉄道以外に、フェリー、スカイリモがあり、2020年には地下鉄13号線ができる予定だ。
10月に開通した港珠澳大橋は30分で香港~マカオを結ぶ。
そのうち橋であちこち繋げる勢いだ。
そんな中国の猛威にぽかんと開いた口がふさがらない。
英語が通じず、手持ちの中国元もなく、のどすら潤せない。
それでもなんとか両替所を聞いて歩くと、地上に銀行があるからそこへ行けと教えられる。
80年代だったら、メイヨーメイヨー(無い、無い)と言われまくったが、とても優しい中国人に「謝謝」とお礼をいう。
銀行では延々待たされ、なぜか特別室に呼ばれた。
中国では国内に電話番号がないと両替もスムーズにできなかった。
Wechatペイも中国の銀行口座がないとできないのだ。
A君へWechat。通訳してもらうことに。
すったもんだあって、なんとかA君のおかげで両替完了。
香港を出てすでに3時間以上が経過していた。

さて、ここから地下鉄で大芬まで一気に移動。
香港の地下鉄カードは持っていても、中国の地下鉄カードは持ってないので、自販機でトークン(コイン)を買う。
これを買うのにも自販機に入るキャッシュが限定されていたりいろいろあって、なんとかトークンをゲット。とにかく、街のあちこちにQRコードをかざす場所だらけ。
本当にキャッシュレスな中国に驚かされるのはこの後、大芬に入ってから思い知らされるのであった。
つづく