議論始めるとき 福島のサン・チャイルド撤去

撤去作業中の「サン・チャイルド」=2018年9月18日撮影

 8月に福島市の子育て支援施設の前に置かれた子どもの巨大彫刻が1カ月半ほどで撤去に追い込まれた。「原発事故の風評被害を増幅させる」といった声が上がったからだ。これを受け、設置した福島市は9月、早々に撤去を決め、恒久設置だったはずの作品はあっという間に街から消え、行き場を失ってしまった。

 ▽合意形成なく

 作品は、現代美術家ヤノベケンジさんの「サン・チャイルド」。高さ約6.2メートル。撤去前に作品を見に行くと、黄色い防護服を身につけ、ヘルメットを手にし、空を見上げていた。2011年、東日本大震災を機に制作されたという。

 木幡浩福島市長は、この作品を「復興に立ち向かう姿をアピールする象徴として設置した」と説明した。だが、「原子力災害がない世界」というシンボリックな意味が込められ、空間線量計を模した胸のカウンターに「000」と表示されていたことが「科学的にあり得ない」とされた。巨大な問題に立ち向かう甲冑をイメージしたという防護服も「風評被害を増幅する」と批判された。

 9月、福島県内での芸術祭の記者会見に出席したヤノベさんは作品撤去について、「設置を急ぎ、市民の声を置き去りにしてしまった。(市民や県民と)直接対話する機会を持ち、じっくり考えたい」と語った。作品の意図を市民に伝え、合意形成の過程を経なかったことを謝罪した。

 今回の出来事を複雑にしたのは、作品が再生可能エネルギーを推進する基金を通じ、福島市に寄贈されたことだった。そのことで、作品が政治性をまとい、反原発のモニュメントという意味だけで解釈され、インターネットを中心に大きな反発を招いた一因となった。

 実際は作品には、廃炉作業に従事している人への応援や人類が向き合うべき核の問題への提起の意味も込められていたというが、ヤノベさんは「(特定の基金を通じた福島市への寄贈が)一つの思想に軸足を置いているように見えてしまった。どこにも属さない形で、自分の表現を伝えることができていたら良かった」と振り返った。

 ▽薄れゆく記憶

 公共空間でのモニュメントをめぐり、似たような出来事が約20年前に長崎市で起きていたことを、明治期以降の彫刻をめぐる問題を論じた「彫刻」(小田原のどか編著、トポフィル)で知った。

 共同通信の記事によれば、長崎市では1996年、爆心地公園の「原子爆弾落下中心地」の碑を、母子像のモニュメントに立て替える計画が明らかになり、平和団体や被爆者団体が「事前に被爆者の意見を十分に聞かなかった」などと反発。市には、約11万人分の反対署名が提出される事態となったという。

 その後、母子像は同じ公園の別の場所に設置されたが、この作品が宗教的偶像の押しつけで憲法違反だとして、撤去などを求める訴訟に発展。最高裁まで争われ、市民側の敗訴が確定した。

 福島市と長崎市の背景は異なっているが、モニュメントの設置をめぐり、話し合いの場を持つ必要があるという点では、一つの教訓であり、福島市ではそれが生かされることはなかった。というよりも、そもそもそのこと自体が忘れられている。

 記憶は時間とともに薄れ、いずれ東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を経験し、目の当たりにした人はいずれいなくなる。その時、歴史や記憶を伝えていく一つの方法として、アート作品が果たす役割があるはずだ。

 けれども、それは作品としてできあがったものを、ただ街の中に置くだけではだめで、人々と一緒に歩むことでしか、なしえないことを福島市での出来事は示している。

 どのように記憶を後世に伝えていくのか。サン・チャイルドが街からいなくなってしまった今こそ、議論を始めるときではないか。(前山千尋・共同通信文化部記者)

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