香港からイミグレを通過して中国へ。
四苦八苦の末、毛沢東の中国紙幣を手にした私は、地下鉄3号線に乗り込んだ。
地下鉄は途中から地上の高架に出て、目的地の駅に到着。
「ダーフェン、ダーフェン」
“ダー”にアクセントが強いロボットボイスのアナウンスが轟く駅構内。
私は映画に導かれ、大芬(ダーフェン)駅に降り立った。

なんと形容すればいいのだろう。
たとえば、東京のどこかの駅と変わらぬその佇まい。
駅を出ると、高架下は川のような大渋滞。
映画でも見た「大芬駅」の文字板がデデーンと目に入り、予想以上に都会でにぎやかな大芬の街並みに目を白黒させて驚く。
「大芬油画村A1」という案内に従い、とりあえず油画村への目印であるウォルマートをめがけて歩き出す。アメリカの世界最大のスーパーが中国の地方都市にまで進出しているのだ。
3分ほど歩くと大きなウォルマートが見えてくる。
日曜の午後3時すぎ。
ウォルマート前の広場には、不思議な音色と歌声が愉快な移動式回転木馬に乗った子供たち。スマホ片手の中国人民たちが縦横無尽に行き交う。
そこにはマクドナルドなどの外資系・中国系ファストフード店や、スタバ、苹果公司(アップルストア)などが軒を連ねる。
新しい店に混じって楽しそうな露店や美味そうな屋台の誘惑。
易経の竹ひごのような極細の串で焼かれた内臓や、臭豆腐、豆花。あれもこれも食べてみたい。
最近、西川口にも出店した「周黒鴨」という流行りの店の家鴨の舌。店のマスコット坊やは、まるで原田治のイラストそのものじゃないかと思ったり。

だが、そこで私を待ち受けていたのは、中国の新常識=キャッシュレスだった。
それらの食を買い求めるのに、現金など使っているのは私だけだった。
店員は、現金を差し出す私の顔と現金の透かしを交互に見入って、明らかに面倒くさがっている。その横で、ほかの客たちはQRコードをどこかにかざして、さっさと会計を済ませている。
よく見ると、屋台にも露店にも自販機にもQRコードが貼られていて、水の自販機には、現金を入れる穴さえなかった。
どうやら最近の中国は、ご祝儀、寺の賽銭、路上ライブ、物乞いに至るまですべてQRコードらしい。
中国人は葬儀に紙の金を燃やす風習があるが、あれもそのうちQRコードを燃やしたりすることになるのだろうか。
どこもかしこもQRコードオンリー。これにはぶったまげた。

さて、いざ油画村へ。
路地裏を5分ほど歩いただろうか。
私の“のら猫アンテナ”はビビビと反応。
するすると吸い込まれるように油画村へ到着。
そこで私を待っていたのは、ゴッホの「包帯をしてパイプをくわえた自画像」と壁一面のグラフィティアートだった。

「とうとう油画村にきたぞー!」
壁に描かれたアインシュタインの前で佇む私。
油画村で最初に出会ったゴッホとグラフィティアートに興奮。

油画村は住宅ビルに囲まれたのどかな一帯だった。
築地市場くらいの面積だろうか。
早速目に入る複製画の数々。
小さな路地の画廊の軒先には、キャンバスを立て夢中になって作品に精を出す画工の姿が目立つ。ここで作られた複製画のほとんどが海外へ出回る。しかも安い。ゴッホが1枚500円くらいから買えるというのだ。

ここ油画村で生きる画工たちの力強さは映画でも描かれていたが、実際のそれを垣間見るとさらにその静かなパワーに圧倒される。
アートと人生と暮らしが混在したその地には、絵筆と額装の木工のリズムにのって人々が暮らす日常があり、南洋中華特有の眩しい陽射しに風が吹き、雨の匂いが入り混じる村。
そんな油画村にいちいち感動していると、なんと目の前に「印象画廊」の文字が飛び込んできたではないか。
この「印象画廊」こそ、『世界で一番ゴッホを描いた男』の主人公シャオヨンの画廊であり、今回の旅の最終ゴールだった。

ちょっとドキドキしながら、画廊におじゃましてみると、なんとキャンバスに向かって油画制作中のシャオヨン本人が中央にいた。
しかも、フツーに、当たり前に、油画を描いていた。
興奮しすぎた私は、インチキな英語と中国語でシャオヨンに声をかけた。
「あなたの映画を見て感動した私は、はるばる日本からあなたに会いにきました。しかもこの大芬スタイルで!」と、香港で買ったばかりの耳切りゴッホ猿のバッグを自慢げに指差して。

そのバッグがウケたのか、シャオヨンは私の肩をたたくと笑顔で迎え入れてくれた。
画廊には、先客として初々しい中国人カップルが一組。
彼らは深センからシャオヨンの絵を買いにきた新婚さんだった。
英語が堪能な彼らが通訳してくれて、シャオヨンを囲んでしばし歓談。なんとシャオヨン自らがお茶を淹れてもてなしてくださった。
今どきは、スマホに翻訳アプリもあり、あれこれ言語ツールを使いながら会話に花が咲く。

新婚カップルの夫の名前はレットといい、妻の名はスカーレットだという。
「それは君たち『風と共に去りぬ』じゃないの!」とツッコむと、嬉しそうに「そうそう、そうなの〜!」と喜んで返す新婦さん。彼らはちょうど先月、新婚旅行で日本に滞在していたという。
そんな彼らと引き合わせたのが、シャオヨンというのも面白い。
私はさっきまでシャオヨンが絵筆をふるっていたゴッホの『収穫』の絵と、最近描かれた絵のそれぞれを眺めて、ある変化に気づいた。
映画でみた絵のタッチよりも柔らかで優しい印象だったからだ。
スカーレットとレットの新婚カップルが購入した糸杉の一枚も、どことなく柔らかであたたかな印象だった。
私はスカーレットに尋ねた。
「ゴッホの本物をみてからのシャオヨンの絵のタッチ、特に色彩が変化したようにみえるけれど、どう思う?」
すると彼女も同感。彼女がシャオヨン本人に聞いたら、その通りだと言われたそうだ。

丁寧な筆使いと柔らかな色の重なり合いは、シャオヨン自身の素の魅力のようで、それは映画で見た彼の故郷・湖南省の情景や祖母の顔の皺をも想起させた。
彼の絵は、今では人気を得て高値がつくようになったという。
だが、いつかは複製画の注文は減る。
生き残るにはオリジナル作品で勝負するしかない。
映画の中でも葛藤していた彼の横顔はここにもあった。
芸術に対して、生きることに対して、心根が本当にピュアな男・シャオヨン。
中国語と日本語と英語を翻訳アプリや身振り手振りで私たちはちょっとの間だが、お茶を飲みながら世間話をし、wechatで友達になったりした。
シャオヨンが本物のゴッホの絵を見にアムステルダムまで行ったように、私も一本の映画に魅せられてはるばる大芬までシャオヨンに会いに来た。
映画という枠から飛び出てきたまま、いつものように油画を描くシャオヨン、そして彼の画廊で現代の中国を生きる新婚カップルに出会えたことも、旅をより一層深く楽しいものにしてくれた。

彼らはシャオヨンが描いたゴッホの糸杉を新居に飾るために購入した。その絵を抱え家路につく仲睦まじい彼らの後ろ姿を眺めていると、昔よく聞いたMIO FOUの『ゴッホの糸杉』(※参照)という曲が脳内に流れてきた。そんな夕暮れの大芬・油画村。
なんとも言えぬ多幸感に包まれながら、陽が暮れるまで大芬の地に微睡む旅人の私。

世界で一番ゴッホを描いた男・シャオヨンに出会うために、旅した深セン・大芬。
中国のヴァン・ゴッホと呼ばれるシャオヨンという男を通じて、大芬油画村の成長と現代中国の万華鏡を覗いたような小さな旅の終わり。
私は今でも大芬の旅を牛のように反芻しては、本当に行ってよかったと感涙している。
浮腫んだ足は鈍く重いけれど、心は軽く、今でもゴムまりのように、こんなに弾んでいるのだから。

※『ゴッホの糸杉』は1983年鈴木慶一主宰の水族館レーベルより発売されたオムニバスアルバム『陽気な若き水族館員』に収められた楽曲