【好奇心の赴くままに】新進気鋭の写真家・上田優紀の挑戦【vol.1】 2018年10月、僕はヒマラヤ山脈で最も美しいと言われるアマ・ダブラム登頂を目指し、ネパールに飛んだ。登れるかどうかなんて分からない。それでも自分にとっての未知の世界に飛び込んで、写真を撮りたい、そんな強い衝動に駆られてから7ヶ月、この山の事だけを考えていた。 まずは緑あふれる村々を歩き、エベレスト街道を通ってベースキャンプを目指す。重いカメラを背負い、自分の限界に挑む旅が始まった。

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どうして僕はこんなところで、そしていったい何をしているんだろう。

足を止めるとそんな事ばかり考えてしまう。夜も明けない真っ暗な中、僕はアマ・ダブラム頂上直下の氷壁にしがみついていた。座ることさえ許されない氷の壁を蟻のように這って登っている。肺が疼く。どんなに空気を吸い込んでも酸素をほとんど吸収することができない。足は鉛のように重く、アイゼンを壁に蹴り込む力もほとんど残っていない。咳き込むたびに5日前に折れた肋骨が痛む。氷点下25度にまで下がった気温は身も心も凍らせ、ついには動いているよりも止まっている時間の方が長くなっていた。上を見上げると垂直の氷壁がどこまでも続き、その先は暗闇に消えている。それでも、その先に必ずあるその頂を目指し、ヘッドライトの弱々しい光を頼りに一歩、また一歩と進んでいった。

1年前、初めて目にしたアマ・ダブラム
アマ・ダブラム。標高6,852mとわずかに7,000mに足りないが、世界最高峰エベレストを抱えるこのヒマラヤ山脈で最も美しい山のひとつと言われている。天に向かって鋭く伸びる山容、切り立った氷壁、美しい稜線。1年前、この地を旅した時、思わず見惚れてしまった。この山をもっと近くで見てみたい、実際に登って写真を撮りたい、そんな未知の世界への好奇心がふつふつと沸いてきて、気が付けばアマ・ダブラムのことばかり考えていた。

ただ、この山はその美しさの反面、登頂するのがかなり難しい山としても知られている。標高6,000mを超えた場所でひたすら岩場をクライミングし、さらにその先で垂直の氷壁を登っていかなくてはならない。空気が薄い中で、それらをミスすることなく登攀する技術はもちろん、恐怖心に打ち勝つ精神力、そして落石や雪崩といった自分ではどうすることもできない事態に対する一種の運が備わった時、初めてその頂に立つことが許されるのだ。

山登りは好きだったが、もちろんヒマラヤで本格的な登山をするほどの技術は持ち合わせておらず、春先から僕は少しずつ、いつもより負荷をかけて登山をしたり、岩場でクライミングの練習をし始めた。

出発間際の9月に入ると低酸素室で汗をかいた。出発前に初期の高度順応をしておきたかったことの他にもう一つ目的があった。過去、6,000mを超える山を登ったことはあったが、そんな場所でクライミングなど激しい運動をしたことはもちろんなかった。そこで、低酸素室に入り、標高6,000mと同じ酸素量にした環境でランニングマシンで走ったり、ボルダリングをしたりしながら負荷を掛け、体がどういった変化をするのか確かめたかったのだ。

結果は散々なもので、5,000mまではそれほど苦にすることはなかったのだが、6,000mを超えると酸素を上手く取り入れることが出来ずに、ゆっくりでも長く走ることは不可能だった。次第に視界が狭くなっていき、意識もはっきりとしなくなっていく。アマ・ダブラムはさらに1,000m近く標高が高くなる。出発前、大きな不安に襲われた。

トレッキング客で溢れかえるトリブバン国際空港

10月1日、ネパール、トリブバン国際空港。クーラーの効かない小さな国内線のターミナル内は雨季の後半にも関わらず、ひどく蒸し暑く、じっとりとした汗が止まらない。首都カトマンズにある唯一の空港は利用客でごった返していた。トレッキングシーズンがはじまり、ここから多くの旅行客たちがエベレスト方面やアンナプルナ方面へと飛び、壮大なヒマラヤトレッキングを楽しむ。

今回、僕もカトマンズから一度ルクラという町へ飛び、そこからエベレスト街道と呼ばれる道を途中まで歩いてアマ・ダブラムのベースキャンプまで行く予定だった。そのルクラまで行く小型飛行機は現在においても有視飛行で飛んでおり、パイロットの目によって離着陸している。そのため、雨が降るともちろん、曇ったり、霧が出てしまうと当然のようにフライトは中止になってしまう。特にモンスーンの季節は一週間近く全てのフライトがキャンセルになることも珍しくないが、10月に入ればさほど問題ないと聞いていた。ところが、例年より長く続いている雨季の影響でこの3日間、ルクラ便は1機も飛行していないと空港の職員は拙い英語で僕に説明する。

空港で8時間待ったが、結局その日のフライトは全てキャンセル。途方に暮れ、今回の登山に関する手配をお願いしていたエージェントに相談すると、陸路でもルクラ方面に向かうことが出来ると話をしてくれた。ただ、その為には18時間に及ぶジープでの山越え、そして4日間に渡って山あいの道を歩いて行かなくてはいけないらしい。体力を出来るだけ使いたくはなかったが、天気予報では次に晴れるのは一週間後だと言う。その一週間後にも必ず晴れる保証はなく、カトマンズで何もせずただ待っているよりは少しでも進んだほうがましに思えた。結局、僕はカトマンズからアマ・ダブラムの頂上まで陸路で移動することを選んだ。

車が進めなくなり、歩いて山道を行き、村を巡る

ロバが村に資材を運んでいく

山道を歩く旅はその地に暮らす人たちとの出会いに溢れていた
翌朝5時、ジープに乗ってカトマンズを出発。一度海抜300mまで下がると気温はさらに暑くなり、昼前にはバナナの実がなる村にやってきた。ここからは山をひたすら登っていく。気が付けば、稲穂の垂れていた田んぼは姿を消していた。さらに翌日、5時間かけて一つ峠を超えて、車を降りた。ここから先は、道が狭く険しい為、山道を歩いて進んでいく。

雨の降る中、山間の村を目指す

ゴンパと呼ばれる寺院で学ぶ子供たち

雨上がり、畑を耕す女性

雨が降る中、いくつもの峠を超えて小さな村に到着し、そこで1泊することにした。夕方、ゴンパと呼ばれる村の寺院を訪ねて、共に旅をするシェルパと登山の安全をお祈りしていると奥から袈裟を着た少年がミルクティーを持ってきてくれた。熱いお茶が雨に濡れて冷えた体を優しく温めていく。しばらくして外に出るとすっかり雨は止み、子供たちが楽しそうに走り回っている。夕日が雨露に濡れた森を照らす中、キラキラと輝く笑い声が山間の村にどこまでも響き渡っていた。

多くのキャラバンがヒマラヤへの道を歩く

エベレスト街道ではポーターとヤクが荷を村々へ届ける

カトマンズを出て6日目、ようやくエベレスト街道に合流した。今までは交易のために集落を行き来する村人とすれ違うだけの静かな山行だったが、ここからはトレッカー達が溢れ賑やかな道を行く。荷物を運ぶ役目もロバから次第に高所や寒さに強いヤクに変わっていった。

エベレスト街道を歩くと右手にアマ・ダブラムが姿を現す

このキャラバンルートで最大の村、ナムチェバザールを越えると目指すアマ・ダブラムが姿を現してくる。1年前に初めて見た時と同じように美しかったが、今度はあの山の頂を目指す、そう思うと胸が高鳴り、背筋が伸びた。

ベースキャンプには各隊のテントが並ぶ

キッチンシェルパが温かい料理を作ってくれる
そこから高所順応をしながらゆっくりと高度を上げ、さらに6日間かけて、ついにアマ・ダブラムのベースキャンプに到着した。まだシーズンには早いのかベースキャンプは少しのテントが立ってるいるだけの静かな場所だった。夕方、キッチンシェルパが入れてくれたお茶をすすりながら目の前にあるアマ・ダブラムを眺めるが、山頂は霧で隠れて姿を現さない。まぁいい。これから嫌という程この山と対峙していかなくてはいけないのだ。そんなことを思いながらテントに戻って、暖かなシュラフに包まった。

ベースキャンプからアマ・ダブラム山頂を見上げる
翌朝、カンカンという音で覚めた。外に出るとベースキャンプを流れる小さな川が凍っており、シェルパの青年がそれを叩き割って氷の下を流れる水を汲んでいるところだった。ベースキャンプと言えど標高4,800mにもなり、朝晩はこの時期でも氷点下をゆうに下回る。冷たい空には雲ひとつなく、昨日と打って変わってはっきりとアマ・ダブラムの全容が見てとれた。頂上直下の氷壁をどう登っていくのかここからでは見当もつかない。ほとんど垂直に見える氷の絶壁を果たして自分が登ることなどできるのだろうか。その姿を見れば見るほど小さな不安が心をよぎった・・・。

続き「新進気鋭の写真家・上田優紀の挑戦 Vol.2」は11月28日更新予定!

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