創刊5周年を機に新パートナーを迎えて弊紙はさらに飛翔します 日緬の黄金週間も終焉を迎え、ようやく本腰を入れて仕事に打ち込む気概が出てきた。

日緬の黄金週間も終焉を迎え、ようやく本腰を入れて仕事に打ち込む気概が出てきた。

創刊5周年を機に新パートナーを迎えて弊紙はさらに飛翔します

幸運だった2013年の検閲廃止 申請から1週間で発行許可を頂く

日緬の黄金週間も終焉を迎え、ようやく本腰を入れて仕事に打ち込む気概が出てきた。弊紙もこの5月号で創刊5周年を迎えることができ、これもひとえに読者の皆様方、そしてフリーペーパーの生命線ともいうべき広告クライアント様のおかげだと、感謝の念に堪えません。
5周年と一口に言っても、準備期間を入れれば、このYangon Pressを企画し、創刊にこぎつけるまでにはほぼ1年かかり、合計すればすでに6年の歳月が流れたことになる。
ご存知のようにこの国は2年前まではまだ軍事政権の時代であった。弊紙が創刊した2013年は、テン・セィン政権による民政移管が順調に推移し始めていたが、まだメディアには慎重な姿勢を崩さず、ローカルメディアに対しては厳しい検閲制度があった。だから物理的に日刊紙の発行は不可能だった。「ジャーナル」と呼ばれる週刊紙が精一杯だった。
ところが2013年の3月に、テン・セィン元大統領が驚くべき発表を行った。「検閲制度の廃止」である。新聞にこのニュースが流れたとき、当方はわが目を疑った。独裁的な軍事政権であれば、メディアのコントロールは必然であろうと認識していたからだ。
しかし間髪を入れずに発行申請書を情報通信省に提出したら、なんと1週間余りで許可を頂いた。2年目からは5年間有効の許可に切り替えていただき、厚遇していただいている。

フリーペーパーといえども主張が大切 この国が好きだからあえて小言を言う

むろん当方はこの検閲廃止の発表があるかなり以前から、創刊の機をうかがっていた。ダミー版もいくつか作り、編集内容を何度も推敲(すいこう)した。その中でぜひとも前面に出したかったのはメディアの主張である。毎月偉そうなことを書かせていただいている、この「今月の視点」がその代表格だった。フリーペーパーといえども、広告満載のカタログ紙にはしたくなかったからだ。
幸いなことに、このページはご好評をいただいてきた。ミャンマー在住の邦人の方々が常日頃感じていることを代弁している要素が共感を頂いたようである。しかし執筆するときに配慮していることが2つあった。
一つは政府、政権批判をしないということ。むろん申し上げたいことは山ほどあるが、それは弊紙の使命ではなかったからだ。弊紙はあまりにも少ないミャンマー情報を邦人の方々に迅速にお届けすることを第一に考えた。
そして、メディアの主張をするなら大袈裟かもしれぬが「世直し爺さん」的な発想で、この国に辛口のアドバイスを送れないかと考えていた。批判や文句だけなら簡単な話である。しかしそれではいけないと思った。爺さんが小言を吐いたのなら、必ず建設的な解決策を提示すべきだと肝に命じた。そして「この国が好きだからあえて言うんですよ」というエッセンスを、どこかにちりばめるように心掛けた。
だから本気で書かないといけないと感じた。中途半端な日本との比較論もやめた。失礼ながらこの国は日本とは別物と考えなくてはいけないと気付いたからだ。

初の訪緬で強い衝撃を受ける 10年一区切りが今後の目標に

正直に申し上げると、当方はこの国に来る8年前までは、ミャンマーに対しては全く興味や関心がなかった。現代文明の恩恵にどっぷり浸かり、利便性や快適さばかりを求めてきた怠惰な人間だったからだ。だからたまたま時間ができて、偶然、バンコクから暇つぶし気分でこの国に足を踏み入れた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。人間らしい生活をしている人々を目の当たりにして、文明に毒された自分の狭小な価値観を根底から覆されたような気がした。
東京で住むなら「成城」か「田園調布」がいいなどと愚かな事にこだわっていた当方の目には、たとえ貧しくとも家族が一致団結し、幸せに暮らす術を見出しているこの国の人々の生きざまに感動すら覚えた。そして仏教というバックボーンがあるためか、人々の目は輝き、生きていた。そしてたまたま来たのが12月で、気候的にも絶好の季節だった。以来この国の虜になってしまった。
それからもう8年。新聞の発行、執筆作業に追われていると時間を忘れる。弊紙はミャンマー語版もあるので、ほぼ2週間に1度、締め切りが来る。広告主様のためにも遅延すすることは絶対に許されない。
創刊号は8ページからスタートしたが、今は40ページにもなってしまった。2人で始めたスタッフも、今は外部協力者を含めると20人を超す所帯となった。
しかし当方も来年で70歳になる。昨年暮れから今年にかけて約1か月間体調を崩し、5キロも体重が減った。いつまでも若いと思っていたら大間違いだった。そのときにつくづく後継者を育てることを意識した。幸いなことに今年から当方のパートナーとして若い協力者が現れた。あと2年でヤンゴン滞在10年。当方はそれを一区切りにしたいと希望している。そうなって執筆だけに専念できれば、再び旅に出たい。これまでミャンマー人スタッフに取材に行ってもらい、それを練り直してリライトしていた日本語版の紙面を、自分の目でつぶさに見て、驚き、笑い、そして感動した記事を書いてみたいと思っている。所詮当方は45年間も駄文を綴っている物書きの端くれである。
最後になるが、Yangon Pressは5月1日からサクラタワーの15階に移転した。WEBサイト事業部を新たに新設し、来るべき本格的なIT情報化社会に備えるためである。
これからも引き続き弊紙へのご愛顧を切にお願いする次第であります。

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