トッテナムとチェルシー、両クラブに所属した11人のレジェンドたち

今週末に行われるロンドンダービー、トッテナム・ホットスパー対チェルシー。勝点はそれぞれ28と27で、首位争いの直接対決となる。

その試合に向けて、今回は両チームに所属した経験を持っている名選手を11人ピックアップして特集してみるぞ。

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カルロ・クディチーニ(GK)

チェルシー所属:1999~2009年

トッテナム所属:2009~2012年

1999年にカステル・ディ・サングロからチェルシーにローン移籍してきたクディチーニ。2年目からポジション争いに勝利し始め、2001-02にはチームMVPに選ばれるなど活躍した。現在はチェルシーのコーチ。

ウィリアム・ギャラス(DF)

チェルシー所属:2001~2006年

トッテナム所属:2010~2013年

マルセイユから2001年に620万ポンドでチェルシーに加入。デサイーやテリーとのコンビでセンターバックを務めた他、サイドバック起用にも対応した。退団後はアーセナルに移籍し、そして2010年にはトッテナムに加入している。

スコット・パーカー(MF)

チェルシー所属:2004~2005年

トッテナム所属:2011~2013年

チャールトンでの活躍で「プレミア最高レベルの守備的MF」と評価されたパーカー。1000万ポンド(現在のレートでおよそ14.51億円)でチェルシーに移籍したが、マケレレの前になかなかチャンスがなく、怪我にも苦しんだ。ニューカッスル、ウェストハムを経てトッテナムへ。引退後もトッテナムで指導者デビューし、現在はフラムのコーチ。

グスタボ・ポジェ(MF)

チェルシー所属:1997~2001年

トッテナム所属:2001~2004年

どちらでも活躍を見せたといえる最も新しい選手だろう。ウルグアイ出身の長身MFは、1997年にサラゴサからフリーでチェルシーに加入。当初怪我には苦しめられたが、145試合に出場して49ゴールを決めた。2001年に加入したトッテナムでも98試合23ゴールという結果を残したが、ここでも大怪我を経験している。

グレン・ホドル(MF)

トッテナム所属:1970~1987年

チェルシー所属:1993~1995年

チェルシーで選手兼監督を務めたことで知られるイングランドの名選手グレン・ホドル。彼がプロデビューしたのはトッテナムで、12年で377試合に出場し88ゴールを決めた。2001年からは監督も。選手としても指揮官としても両チームに所属した貴重な人物だ。

レズ・アレン

チェルシー所属(レズ):1954~1959年

トッテナム所属(レズ):1959~1965年

クライヴ・アレン

トッテナム所属(クライヴ):1984~1988年

チェルシー所属(クライヴ):1991~1992年

なんと親子でチェルシー、トッテナム両方に所属したというアレン父子。レズはボビー・スミスとコンビを組んだインサイドFWで、チェルシーでは11ゴール、トッテナムでは47ゴールを決めた。

息子のクライヴはQPRから1984年にトッテナムへ移籍し、エースとして2試合1ゴール以上の成績を残した。1991年にはチェルシーへ。引退後はNFLヨーロッパでアメフトに挑戦し、その後指導者に。

ジミー・グリーヴズ(FW)

チェルシー所属:1955~1961年

トッテナム所属:1961~1970年

チェルシーとトッテナムのレジェンドといえば、おそらく最も重要な存在。下部組織から育ったチェルシーでは131ゴールを決めたが、クラブの経営難からミランへ売却された。その半年後にトッテナムに加入し、266ゴールを決めてクラブ史上最多得点記録を樹立した。

テリー・ヴェナブルズ(MF)

チェルシー所属:1958~1966年

トッテナム所属:1966~1969年

後の名監督として知られるヴェナブルズ氏。トッテナムを指揮していた印象が強いが、選手としてはどちらかといえばチェルシーのレジェンドである。MFとしてリーグカップ優勝にも貢献している。

ボビー・スミス(FW)

チェルシー所属:1950~1955年

トッテナム所属:1955~1964年

トッテナムで176ゴールを決めた名ストライカーとして知られるスミス。彼が2002年に出版した本も「トッテナムの記憶」だが、デビューしたのはチェルシーだった。レギュラーではなかったが、トッテナムが1万8000ポンド(現在のレートでおよそ260万円)で引き抜いたという。

ヴィヴィアン・ウッドワード(FW)

トッテナム所属:1901~1909年

チェルシー所属:1909~1915年

建築家として働きつつ、さらにクリケット選手と兼任しながらサッカーをやっていたという伝説の選手。トッテナムでは169試合で73ゴール、チェルシーでは116試合で34ゴールを決めた。第1次世界大戦で徴兵され、西部戦線で右太ももを負傷。サッカー選手としてのキャリアはそこで断たれてしまった。

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