作品通して伝える 次世代への想い ロサンゼルスで暮らす人々-vol.762

By Yukiko Sumi

光武 蔵人|Kurando Mitsutake 映画監督

 映画監督、光武蔵人さんの売りは「米国にいることを武器に低予算日本映画をLAで撮影する」こと。キャストからクルーまで全員を日本からアメリカに呼びよせれば人件費は膨らむ。しかし土着のクルーが撮影を行えば費用を抑えることができる。これまで監督した長編映画3作はいずれも日本では全国順次公開されているが、目標とするハリウッド映画での監督は「まだ遠い」という。外国籍の監督がオファーを得るには、母国での全国同時公開規模の成功が必要。「今はちょうどキャリアの転換期。フェーズ1ではそこそこ成績を残せた。次は日本で全国同時公開規模の映画をやりたい。それをフェーズ2とするなら、フェーズ3はいよいよハリウッドに呼ばれてやるというのが僕の野望」と語る。現在はエージェントから打ち合わせに呼ばれることはあるものの、なかなか次のステップに進めないのが悩みだ。

『カラテ・キル』の撮影現場にて。作品には「負けるかもしれない戦いにあえて挑まなければいけないことがある」というメッセージを込めている

 映画に興味を持ったのは、子ども時代にテレビで毎週放送されていた洋画劇場。もともと〝お話を語る〟ということに魅力を感じていたといい、物心ついたある日、スピルバーグ監督の『激突』という映画をテレビで観て感化され「映画に取り憑かれてしまった」。80年代、90年代の当時はレンタルビデオバブルの時代。圧倒的に本数が多かったのは米国映画で、漠然と「米国で映画の勉強を」という思いを抱いていた。渡米は高校生のとき。高校1年を日本、2~3年を米国で学べるという学校の新聞広告を父が見つけたことから実現した。高校卒業後はサンフランシスコの芸術大学に進学、映画学科で2年間勉強し、大学3年からはバレンシアの大学へ。大学院まで修了すると日本のコーディネーション会社を経て独立した。実は、2010年には一度、活動拠点を移すため日本へ帰国している。しかし東日本大震災をきっかけに再びLAへ戻ってきた。

長編3作目となった『女体銃』。Amazon.comなどで配信、DVD&BD発売中

 これまでの作品では「人は負けるかもしれない戦いにあえて挑むべきときがある」というメッセージがメインテーマだ。「歯向かうとか抗うのは大事なこと。右向けと言われて右向くだけの人生よりも豊かになる」。70年代、80年代のアクション映画の基本はモラル・テールだったが、最近は映画産業の商業主義化によって豊かさが減少し、かつてのような個人のビジョンやメッセージ性のある作品が少なくなっていると光武さんは考える。「若い人に、僕の作品の中でそういうことを感じ取ってもらえればいいかなあと。昔の映画は、そういうことを僕らに教えてくれたと思うんですよね。大事なことは映画で教わったというか」。
 次の世代に、自らの作品を通して大切なことを伝えたい。そんな思いを胸に、大好きな映画と向き合っている。

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