料理嫌いからシェフに 「実力あれば成功できる」 ロサンゼルスで暮らす人々-vol.765

By Yukiko Sumi

佐藤 了|Ryo Sato シェフ

 世界を渡り歩いて活躍し、料理オリンピック米国代表チームの一員として金メダル獲得、『シェフ・オブ・ザ・イヤー』受賞など輝かしい経歴を持つフランス料理のシェフ、佐藤了さんだが、もともとは料理はあまり好きではなかったというから驚きだ。無線技師になりたかったはずが「なんでシェフになったのか」と笑う。日本橋で洋食屋を営む叔父のもとで料理の勉強をしていた若かりし頃、出前もやっていたため「寒いし、ますます嫌いに」なったという。その後、ホテルで働き始めてまもなく、東京五輪が開催された。佐藤さんを含む全国の各ホテルから選ばれた全350人のシェフが、ボランティアとして選手村で1日1万食を作った。この体験を機に「本場の料理を勉強したくなった」佐藤さんは、レストラン協会の欧州派遣制度に受かりスイスへ。スイスでの修行を終えると今度はフランス、ロンドンを経て渡米。アメリカではNYの名門ホテル『プラザ』で働いた後にシカゴへ移った。

ウエストコビナのシニアランチのボランティアスタッフと佐藤さん(右から3人目)

 人生の転機は、3カ月の休みを取って日本へ一時帰国した際に訪れた。芳江夫人とのお見合いである。3週間後に式を挙げ、再び米国へ。海外生活に乗り気でなかった芳江夫人も「5年以内に日本へ完全帰国」という条件で渡米。しかし、子供が生まれたことをきっかけにLAへ引っ越すと、カリフォルニアの気候をことのほか気に入った芳江夫人が一転して米国残留を希望し、一家で米国に腰を据えることに。1980年には念願の自分の店をアーケディアにオープン。だれがやっても2年でクローズしてしまうといういわくつきの場所だったが、始めてみれば毎日来店する常連や、遠方からはるばる訪れる固定客も多い超人気店となった。

2004年に店を引退してからはボランティア活動に精を出す佐藤さん(右から2人目)。ウェストコビナ市の日系コミュニティセンターで毎週腕を振るっている

 2004年に惜しまれながら店をたたんで以来、力を入れるのがボランティア活動だ。ウェストコビナ市の東サンゲーブリエルバレー日系コミュニティセンターにて、毎週60人に料理の腕を振るう。また、出身地の栃木県大田原市で講演を行ったことから交換学生の世話をするようになり、姉妹都市にまで関係が深まったように、地域の発展にも貢献する。栃木県人会ではピクニックなどのお弁当作りを一手に引き受ける。「人にとても恵まれてきたと思う。日本から投資してくれる人もいたし、それは3倍にして返した。これまでラッキーな人生を送ってきたから、今そのお返しを周囲にしているんです。だからやりがいがある」。これからも「ボランティア活動はできるだけ長くやって、技術を教えていきたい。だれでもアメリカでは実力があれば成功できることを伝えたい」と話す。そんな佐藤さんの夢は、もう一度五輪のボランティアをすること。「人生で2回、オリンピックで働けたらうれしいなって思います」。引退してもなお夢を見続ける。それが若さの秘訣なのかもしれない。

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