「リレーコラム」もう一人の精神的支柱 プロ野球広島のベテラン石原慶幸捕手

広島―ソフトバンク第2戦、ソフトバンクに勝利し、捕手石原とタッチを交わす広島先発のジョンソン=マツダ

 「県岐阜商の石原はすごかった」「高校の時から石原は別格だった」。12、3年前、私が岐阜高校の硬式野球部時代、当時の部長から何度もこの言葉を聞かされた。

 そのすごさを、身をもって体感することができた担当2年間だった。

 プロ野球広島は今季もリーグ優勝し、球団史上初の3連覇を成し遂げた。

 そのチームの精神的支柱と言えば、今季限りで現役を引退した新井貴浩選手だが、39歳になった石原慶幸選手の存在も忘れてはならない。

 出場機会こそ減ったものの、クリス・ジョンソン投手が先発するときには必ずバッテリーを組み、巧みなリードで相手を翻弄。試合終盤には“抑え捕手”として、ベテランならではの経験値をいかんなく発揮してきた。

 正直、全盛期に比べて肩の衰えは隠せず、簡単に盗塁を決められる場面が目立つようになった。

 ただ、コンディション的な問題もあってのことだろうが、言い訳や弱音は一切聞いたことがない。「プレーできないなら自分から言うべき。でもできるなら、そぶりすら見せたら駄目」と語気を強めた言葉は印象的で、この姿勢は近年正捕手になりつつある会沢翼選手にもきっちり受け継がれていた。

 そもそも、同じポジションのライバルでありながら、二人はとにかく仲がいい。

 食事の席でも互いに試合の反省や感想を口にし、熱く捕手論を交わす。惜しみなく後輩に経験を伝えたのは「自分のことより、何よりチーム。もう弱い時代のカープに戻ってほしくない」との思いからだったに違いない。

 それは当然会沢選手にだけではなかった。今でも、自身とバッテリーを組んだ若い投手が結果を残せないと責任を感じ、「自分が受けた子が2軍落ちになるのが一番つらい」と、強いチーム愛をのぞかせてきた。

 緒方孝市監督が、試合後の取材でことあるごとに自ら石原選手の名前を出してたたえるのにも納得がいった。

 私が担当として見るのは最後となった今年の日本シリーズでも、最後の最後まで驚かされた。

 第2戦にジョンソンが好投して、待望の先勝。敵地で3連敗し、1勝3敗1分けとなって広島に戻ってきた第6戦で、再びジョンソン―石原バッテリーに出番が回ってきた。

 後がない一戦、ましてや最高峰の大舞台にも秘策があった。

 第2戦で、あえて使わずに残しておいた球種が一つ。強力ソフトバンク打線に対し、最善を尽くすために周到に策を用意。結果的に勝利にはつながらず、またしても悲願の日本一には届かなかったが、この策士ぶりは衝撃的だった。

 なぜここまでのことができるのか。本人は自分のことを「基本的にマイナス思考。いつも悪い方に悪い方に考えるタイプ」だと言う。

 ミーティングも必要がないほどに、相手打線のことを頭に入れ、シミュレーションを繰り返す。1番打者が四球、2番打者のところで犠打野選に失策。無死一、三塁で3番打者。「さあどうする」という思考回路のもと、入念に準備をしてきた。

 捕手という特殊なポジションで、長年第一線で活躍し、地位を確立してきてもこれだけの努力を重ねるからこそ、投手や後輩、首脳陣は絶大な信頼を寄せるのだろう。

 私自身にとっても、同郷の偉大な先輩から多くのことを学ばせてもらい、かわいがってもらえた2年間は、最高の財産になった。

山本 駿(やまもと・しゅん)プロフィル

2011年共同通信入社。和歌山支局での警察担当を経て、13年に大阪運動部へ異動し、プロ野球阪神などをカバー。17年から広島支局で2年間カープを担当。18年12月から東京運動部。岐阜県出身。

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