日の丸の重み知る日系二世 Field of Dreams~ベースボールへの挑戦者たち Vol.4

By Yukiko Sumi

シアトル・マリナーズ野球事業部/ 太平洋リエゾン、リプレーコーディネーター

鈴木アントニーさん(2/2)

 今までは基本的に日本人をサポート、アシストしていたのが、今はチーム全体のケアとなり、責任は大きくなっていると感じている。しかし責任ある仕事を任されるということは信頼の証でもある。「このチームで13年、現場の一員として今まで忠実にやってきたからたどりつけたのかなと。野球の公式規則についても把握しておかないといけないし、違う形で野球が見られてプラスになっています」と冷静にとらえている。

アントニーさん(左端)が生まれ育ったのは米国。しかし2009年のWBCでは日の丸を背負い、イチロー(右端)ら日本代表チームの通訳を務めた

 両親は日本人。「血は日本人だけど、生まれ育ちはアメリカ」という日系二世だ。しかし日の丸の重みを感じた体験があった。2009年、第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本代表に選出されたイチロー、城島(ともに当時マリナーズ)とともに、日本代表チームに通訳として帯同した。「日本人選手とともに戦って日の丸を背負っていると重みを感じました。自分も同じ日本人なんだなと感じる。日本全国のみんなが試合を見て、自分が通訳していることを聞いていると思うと重圧を感じて、それまでの通訳とは次元が違う感じがしましたね」と振り返る。

2009年WBCにて、原辰徳監督(当時、左)の通訳をするアントニーさん(左から2人目)

 日米の経験を生かし、最終的な目標はGMだ。「野球界で働く人々は皆、下から這い上がってGMになりたいという夢を持っています。経験、信頼、野球の知識、チームの構成能力が必要で、球団によって条件は変わってくる。米国でいけるところまで行って、いつかはその経験を生かして日本でも野球界の力になれたらなと思っています」。日の丸の重みを知るアントニーさんの挑戦はまだまだ続いていく。

■Antony Suzuki 
ハワイで生まれ、小学校から野球を始める。16歳のとき、野球のために単身での来日を決意し、暁星国際高校へ編入。野球推薦で駒沢大学へ入学しプロ野球選手を目指したがかなわず、スポーツ関連企業に就職した。5年半の勤務後、再び米国へ。2005年からサンディエゴ・パドレスで通訳を務め、2006年からはシアトル・マリナーズにて日本人選手の通訳および野球事業部のチーム編成業務/スカウトに携わっている。これまでに大塚晶文、城島健司、イチロー、岩隈久志、川崎宗則、青木宣親と、投補内外全ポジションの選手の通訳という貴重な経験をしている。

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