パウエル、郭源治、ブランコ…幅広い国から助っ人を獲得し成功させた中日

中日のダヤン・ビシエド【写真:荒川祐史】

助っ人最多安打は大豊の889安打

 中日はアメリカだけでなく、アジアやドミニカ共和国、キューバなど幅広い国から外国人選手を受け入れてきた。中日の外国人選手の数字を見ていこう。戦前の日本統治下の台湾人選手は含まない。

〇中日の外国人選手、安打数10傑

1大豊泰昭889安打(1989-1997・2001-2002)
2パウエル765安打(1992-1997)
3ゴメス690安打(1997-2001・2001-2002)
4マーチン592安打(1974-1978)
5アレックス586安打(2003-2006)
6ウッズ578安打(2005-2008)
7モッカ516安打(1982-1985)
8ブランコ427安打(2009-2012)
9ルナ408安打(2013-2015)
10マーシャル402安打(1963-1965)

〇本塁打数5傑

1大豊泰昭215本塁打(1989-1997・2001-2002)
2マーチン180本塁打(1974-1978)
3ウッズ155本塁打(2005-2008)
4ゴメス153本塁打(1997-2001・2001-2002)
5ブランコ111本塁打(2009-2012)

〇投手勝利数10傑

1郭源治106勝(1981-1996)
2チェン36勝(2004-2011)
3バンチ31勝(2000-2002)
4バルデス17勝(2015-2017)
5ネルソン15勝(2008途-2012)
6マルティネス14勝(2005-2006)
7ガルシア13勝(2018)
8グスマン13勝(2004-2006途)
9ジョーダン12勝(2016-2017)
10カブレラ11勝(2013-2014)

郭源治は106勝を挙げたがセーブ数も116を記録

〇セーブ数 5傑

1郭源治116セーブ(1981-1996)
2ギャラード112セーブ(2000-2003)
3宣銅烈98セーブ(1996-1999)
4バルデス24セーブ(2003-2004)
5ラミレス4セーブ(2007)

 巨人、阪神、阪急(現オリックス)とならび、プロ野球草創期から続いている老舗球団の中日だが、初年度の1936年にはすでにバッキー・ハリス、ビル・ノースという外国人選手がいた。ハリスは戦前の職業野球を代表する捕手だった。

 戦後も中日には多くの外国人選手がやってきた。1962年には、ジャッキー・ロビンソンに次いで黒人2人目のメジャー・リーガーとなり、のちに殿堂入りしたラリー・ドビーとMLB最多勝のタイトルもとったドン・ニューカムがプレーした。

 1965年から続く巨人の連覇を「9」でとめたのは1974年の中日だが、その主軸打者として活躍したのがジーン・マーチンだ。マーチンは5年で180本塁打をマークした。

 平成に入ると、台湾から有望な選手が中日に入団するようになった。郭源治は台湾陸軍から中日に。先発、救援で大活躍し、中日外国人としては最多の106勝116セーブを記録した。大豊泰昭(本名陳大豊)は、王貞治に憧れて野球をはじめ、台湾の高校を出て日本の大学に進み、中日職員を経てドラフト2位で入団。郭源治とは異なり、外国人枠ではなく日本人選手の扱いだった。1994年には本塁打、打点の二冠王を獲得。阪神に移籍した3年間を挟んで11年間、中日の主砲として活躍した。

 陳偉殷は台湾の名門、国立体育学院から2004年に中日に入団。当初はNPBで通用するレベルではなかったが、次第に実力をつけ、2008年にチェンと改名をしてからはエース級の投手になった。チェンは2012年にMLBに移籍しオリオールズ、マーリンズで59勝を挙げている。

 宣銅烈はKBO(韓国プロ野球)が生んだ最高の投手と言われたが、1996年に中日に移籍、クローザーとして活躍した。宣銅烈の後からは、李鍾範、李炳圭とKBOのトップ選手が中日に入団した。

 台湾、韓国と独自のルートを開拓してきた中日だが、21世紀にはいるとドミニカ共和国やキューバから優秀な外国人選手がやってくるようになる。2004年に就任した森繁和コーチ(のち監督)は、自らドミニカ共和国に足を運び、ウィンターリーグなどを視察して選手を獲得するようになった。トニ・ブランコ、マキシモ・ネルソンなどがその代表例だ。

 今季はキューバ出身のダヤン・ビシエドが首位打者を獲得。オネルキ・ガルシアが13勝。ドミニカ共和国出身のゾイロ・アルモンテも打率3割をマーク。中日の外国人選手の“打率”は高い。中日は外部のスカウトに頼らない独自のルートで、外国人選手の人脈を開拓してきた。来季はどんな選手が活躍するだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

© 株式会社Creative2