「こいつ、プロに行くんじゃ…」 中日ドラ2右腕の激励会で語られた“原点”

激励会に出席した中日のドラフト2位指名・梅津晃大【写真:高橋昌江】

11月に仙台で開催された激励会、そこで語られた梅津の“素顔”

 仙台市出身で、中日からドラフト2位指名された東洋大・梅津晃大投手。11月24日に仙台市内で激励会が開催された。小学生時代に所属した少年野球チーム「南小泉メッツ」の主催で、当時のチームメイトや関係者など108名が出席し、エールを送った。

 中日の応援歌「燃えよドラゴンズ」が流れ、大きな拍手に包まれる中、梅津は1つ1つのテーブルを回りながら入場した。祝辞では南小泉メッツの木村勝好顧問が「潜在能力の高さをプロが評価し、判断してくれた。あの大谷(翔平)投手に決して引けを取らない素質の持ち主だと聞いております。是非、プロ野球界を背負って立つような、大選手になっていただきたい。その原点はメッツである、南小泉である、仙台であるということを忘れないでいただきたいなとも思います。私たちはあなたが頑張っている間、全力で応援してまいります」と励ましの言葉を送った。

 続いて、梅津が低学年の時に助監督だった平間裕信さんが「今もそうですが、当時も体が大きかった。今は優しい顔をしていますが、当時はもっと目つきが鋭かったです」と小学生当時の印象を話すと、会場は笑いに包まれ、「メッツから秀光中、仙台育英、東洋大と、かなり厳しい野球の道を歩んできたのではないかと思います。次にプロ野球で、もっともっと厳しいところに行く。覚悟を持って、行っていただきたいと思います」と激励した。

 会では小学生時代のスライドショーも上映された。小学校低学年の写真がスクリーンに映し出されると、お母さんたちからは「かわいい~」と黄色い声が。フルキャストスタジアム時代の楽天生命パーク宮城で投球している写真や、小学2年生で二塁打を放った動画などが流れ、梅津は「覚えていますよ」と懐かしんだ。写真撮影やサインにも応じ、ボールや色紙のペンを走らせた。サインは前日に完成したばかり。10月に脳出血で倒れて入院中の母の友人が、母のリハビリ用にと贈った磁石式お絵描きボードで練習した。

 同期や先輩、後輩からは様々なエピソードが披露された。同級生で捕手だった宮本隼人さんは「僕と晃大君との出会いは、自分は元々サッカーをやるつもりでいたんですけど、校庭でたまたまキャッチボールをしていたら『野球をやろうよ』という野球漫画でありそうな出会いでした。バッテリーを組んでいましたが、当時から球が速くてショートバウンドを止めらなくて怒られていました」と当時のエピソードを披露して会場の笑いを誘い、「これからも持ち前のクールさとガッツとセンスで頑張ってください」とエールを送った。

「ちゃんと夢を与えられる職業に就けたということはすごく責任感があるな、と」

 1学年上の菅原将人さんは「気が強いところがあるというか、負けず嫌いというか。小学校時代はバッテリーを組んでいましたが、試合後、ちょっと気にくわないというようなことを言われた」と明かすと、また会場は笑いの渦に。「友達の応援で東京ドームに行った時に会い、『150キロ出るんだよね』と言われて(笑)、『こいつ、プロに行くんじゃね?』と思いました」と語った。

 また、「野球をしたくてメッツに入りたかったんですけど、あと一歩を踏み出せなかった。そんな時、晃大君が『メッツで野球をやろうよ』と誘ってくれて入ることができた」「うちのキャプテンの晃大君が中日から2位指名された時は自分も嬉しかった。これから中日ドラゴンズを応援していきます」「野球に対して真面目。いろんな球団のファンの方がいると思いますが、来年からは中日のファンになりましょう」など、数々の思い出が語られ、エールが送られた。これに対し、梅津は「県大会に2回出場できて、学童で3位になったことは覚えている。今までの野球人生で一番頑張った時かな、と。1人で投げ抜いた気がします(会場笑い)。またみんなでご飯に行きましょう、名古屋で待っています(笑)」と返した。

 4学年違いの兄・恵太さんに続き、小学2年で南小泉メッツに入団した梅津。仙台育英秀光中、仙台育英高、東洋大と進み、最速153キロ右腕としてドラフト上位候補に成長した。壇上にあいさつで立つと「このような会を開いていただき、また、たくさんの人に来ていただきありがとうございます」と感謝し、これまでの野球人生を振り返った。

「南小泉メッツには小学2年生からお世話になり、ここまで野球を続けてきました。いろいろと辛い時があったんですけど、こうして続けてきてよかったなと今日、改めて感じています。メッツでは野球の楽しさを教わって、中学校で野球の厳しさを知りました。高校では諦めない野球、試合中も笑顔でという戦い方をして、大学では厳しい野球を4年間、やってきました。厳しい野球では辞めたくなった時もありましたけど、野球を嫌いにならないことを考えて、4年間、しっかりと人間性から見直して、ここまで続けてこられたと思います」

 この日の午後、南小泉メッツが主催する「第36回南小泉メッツ少年野球大会」にも顔を出した。後輩たちはもちろん、出場チームの子供たちにもサインを書いたり、写真撮影に応じたり。夜はこの激励会とあって、「プロ野球選手になったという実感は今日、感じました」と話すと、またまた会場は爆笑。「遅めに感じたんですけど」と笑った梅津は、「メッツ大会にも顔を出させてもらって、小学生といっぱい触れ合って、ちゃんと夢を与えられる職業に就けたということは、すごく責任感があるなと感じました。『これから応援してください』という前にしっかりと応援してもらえるような生活、プレーをして、みなさんに夢を与えられるように、そして、息の長い選手になりたいと思っています」と誓いを新たにした。

 自身の幼少期を知る人たちや当時の仲間と旧交を温め、「取材を受ける機会は多かったんですけど、間近で応援してくださる方が集まる会は初めてだったので、直に応援が届いて、自覚や責任感が湧きました。それに尽きますね」と梅津。プロの世界に飛び込む前に原点に返り、力をもらっていた。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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