ノーベル平和賞が10日、性暴力被害者の治療に当たるアフリカの医師と根絶を呼び掛けてきた中東の被害女性へ贈られる。「民族浄化」の暴力が吹き荒れた旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、敵対民族の女性らを標的に組織的な性暴力が展開された。内戦終結から23年がたつ今も、尊厳を奪い去る虐殺に等しい蛮行の被害者たちは、癒えぬ傷と苦しみを抱えている。(サラエボ共同=土屋豪志)
沈黙
「考えられないほどひどいことと、ずっと向き合ってきた」。北部ツズラの支援団体「ビブジェネ」で性暴力被害者らのケアに当たる心理療法士アウグスティーナ・ラフマノビッチさん(61)は「被害者にとって拷問は今も続いている」と語る。
数カ月前に同団体を初めて訪れた女性は、ボスニャク(イスラム教徒系)市民ら多数がセルビア人勢力に虐殺されたスレブレニツァ近郊で性暴力を受けた。現場にいた母だけが知り、夫と2人の子には隠し続けていた。
被害を口に出さぬよう諭し、女性を支えていた母親が2年前に死去。次第に精神が不安定化し混乱状態で2回目に病院に担ぎ込まれた際に女性は被害を打ち明け、同団体のカウンセリングを受けに来た。「当時の光景が焼き付いて離れない」。そう話していたという。
約3年半の内戦中、主にボスニャク女性推定2万~5万人が性被害に遭った。だが、公的支援金への登録は約900人にすぎない。
「性被害は恥で、夫の名誉を傷つけ捨てられる。家族と地域の恥辱となり、全てが破壊される」とラフマノビッチさん。被害女性らは男性優位のボスニアの社会で蔑視や孤立などを恐れ沈黙を強いられてきたと指摘、「女性を殺すのに弾丸は要らない。男(家族)のいない女は人と見なしてもらえず」、自滅してしまうと話した。
断罪と忘却
内戦中の戦争犯罪を裁いた旧ユーゴ国際戦犯法廷は、ボスニャク女性らを「収容所」に監禁し性的暴行を加えた罪でセルビア人勢力の指揮官らを有罪とした。性暴力を人道に対する罪として処断する歴史的な法判断を示し、再発の抑止力を強めたとも言われた。
だが、ボスニャク女性らが妊娠するまで暴行、堕胎困難になる時期まで監禁したとされる「収容所」の一つ、東部ビシェグラードのホテルは当時と名称を変えないまま、今も営業を継続している。非人道行為の舞台となった建物内では温泉施設用とみられるバスローブ姿の男女が行き来し、カフェには談笑が響く。
ボスニアでは今年の平和賞はあまり話題にならないという。中部ゼニツァの被害者支援団体「メディカゼニツァ」のサビハ・フシッチ代表(47)は、現地の高校、大学生らのほとんどが、内戦中に起きた性暴力を知らないと指摘した。「習うのはスレブレニツァの虐殺だけで、同じ場所で起きた女性への性暴力は言及されない」
再生へ尽力
セックスで金を得ている―。肉親を失うなど内戦の被害に遭った女性たちすら、公的支援金を得ている性暴力被害者に暴言を浴びせることがあるという。フシッチさんは「自らの被害を語ることが、回復に向けた大きなステップになる」と指摘、被害女性が孤立を恐れず体験を語り、感情を吐き出せる環境を作ることが重要と説明した。
ボスニアの被害者に対する国際社会の支援が活発化する兆しは、これまでのところないといい、資金繰りが楽ではない支援活動に平和賞の追い風は吹かないままだ。
だが、ラフマノビッチさんは「被害者のトラウマが消えることはない。でも、対処しながら生活ができるようになる」と断言。自らも内戦の国内避難民だったフシッチさんも「女性らは苦難を乗り越え、人生を取り戻せる」と、支援に力を尽くしていく考えを示した。
◎ボスニア内戦
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦 旧ユーゴスラビアの分裂崩壊が進む中、クロアチア系、セルビア系、ボスニャク(イスラム教徒系)の主要3民族が混在するボスニア・ヘルツェゴビナも1992年に内戦に陥った。各民族は支配下に置いた地域から他民族を根絶する「民族浄化」と呼ばれる凄惨な戦いを展開。無法地帯での個人的犯罪のほか、セルビア人勢力は、敵対民族に恐怖を植え付け地域社会や家族など共同体を崩壊させる目的で性暴力を組織的に行ったとして特に強く批判された。内戦終結後のボスニアは、クロアチア系とボスニャクでつくる「ボスニア連邦」と「セルビア共和国」の二つの国家内国家に分かれるなど、内戦時の民族対立の構図が残っている。(サラエボ共同)