【世界から】マレーシアで味わう一足早い〝お正月〟

ヒンズー教の神ハヌマーン。ヒンズー教は神様の数が多いことで知られている=海野麻美撮影

 今年も年の瀬となった。あちらこちらでクリスマスのイルミネーションが輝き始めると、何となく慌ただしい、でもどこかわくわくする空気に街中が包まれてゆく。すると、正月の足音もひたひたと近づいてくるような気がして浮足立ってくるのは、日本人ならではの感覚だろうか。

 実は、筆者が住むマレーシアでは11月6日に一足早い“新年”が訪れていた。幸運をもたらすといわれているヒンズー教の女神で仏教においては吉祥天とされるラクシュミーを、明かりをともした自宅に招き入れるヒンズー教の祭典「ディパバリ(インドではディワリ)」だ。インド系マレーシア人たちにとっては年に一度の盛大なお祝いの日でもある。

 マレーシアには、インド、中でも南部出身のタミル人が国民の1割弱を占めるほど住んでおり、各地でコミュニティーを築いている。その多くは、英国が植民地として支配していた時代に労働力として連れてこられた。リトル・インディアと呼ばれるエリアを訪れると、色鮮やかなヒンズー教寺院に人々が集まり、一帯にはさまざまなスパイスや香ばしく焼けるナンの香りが立ち込めている。そんな、何とも異国情緒漂う雰囲気を感じることが出来る。

ディパバリを前に、ジャスミンなどの花々を編んだ飾りがリトル・インディアの街を彩り始める=海野麻美撮影

 ディパバリ当日の数週間前から、マレーシア国内の大型ショッピングモールを始めとする商業施設などはこぞってインド風のデコレーションを施し始めた。中でも、目を引くのは「コラーム」。これは鮮やかに色付けられた米粒で描く巨大な砂絵のようなオブジェだ。縁起が良いとされるクジャクや象などが色彩豊かに描かれたコラームは、水をまいて湿らせた床に米粒を少しずつ落として作り上げられる、まさに「職人技」がなせる芸術作品だ。これを楽しみにショッピングモール巡りをする人たちもいるというほどこの季節の風物詩となっているのもうなずける。

 ちなみに、最もにぎやかな盛り上がりを見せるのは、日本での大みそかに当たる前夜。今年は11月5日がそれに当たっていたので、街へ繰り出してみた。「インドの空気感」を満喫しながらのんきに歩いていると、突然バチバチバチッという爆発音が至近距離で鳴り響き、思わず悲鳴を上げてのけぞってしまう。すると、あどけない顔をした花火売りの少年が、真っ白く煙った空気の中でいたずらっぽく笑っていたりする。何とも心臓に悪いのだが、慣れてくるにつれて多少の爆音が近くで鳴り響いたとしても動じなくなる。

 実は、爆竹は治安の面から禁止されている。ところが、お祝い事の日ばかりは別のようで、近くに止めているパトカーの警官も見て見ぬふりだ。だからだろう。この時期の通りでは通常いない花火や爆竹をずらりと並べる露店が堂々と軒を連ねている。

見事なクジャクが描かれた「コラーム」。ディパバリの時期になると、マレーシア国内のショッピングモールなどで見掛ける=海野麻美撮影

 一夜明けたディパバリ当日。ヒンズー教徒たちは、朝からオイルバスで身を清めた後に寺院へ向かうのが習わしだ。首都クアラルンプールの中心部にある寺院では、お祈りの声や民族音楽が鳴り響くなか、新調した衣装に身を包んだヒンズー教徒の家族が、朝からひっきりなしに訪れていた。そんな中に日本人がいるのが珍しかったのか、50代の夫婦が声を掛けてきた。親切なことに寺院の中を案内しながら、インド流のお祈りを懇切丁寧に教えてくれるというのだ。はだしになって内部に入ると、厳かな銅鑼(どら)の音が鳴り響く不思議な空間が現れる。上半身裸で「サロン」と呼ばれる布を腰にまとった僧侶がささげるありがたい祈りにあやかろうと、人だかりが出来ている。

 それを見ながら、夫妻がこんなことを教えてくれた。無数と言えるほど多くの神々がいることで知られるヒンズー教だが、その一つ一つの神の像を回ってお祈りをすることが大切なんだ―と。

 ある神の像の前で立ち止まる。深紅の色をした粉のようなものを、右手中指ですくいとって額の中心にそっと付けるよう促された。インド人女性のおでこに付いているイメージが強い、印象的な赤い点だ。これは「ビンディ」と呼ばれるもので、古くは天然由来の赤い粉を生気の宿る神聖な場所と考えられている額に既婚女性が付ける風習だったそうだが、今ではお手軽な赤いシールや、若い女性向けのダイヤ柄やラメなど、貼って楽しむおしゃれグッズに変身してもいるようだ。

 ビンディを付け終えてから、僧侶に野菜や果物などを載せたお盆をささげると、「聖火」が運ばれてきた。夫妻を含む周囲の人々が指をかざして祈りをささげる。その後、銀色の器に入った聖水を手のひらに頂いて、口に含めた。

 「こうして長い祈りを終えたら、すぐには寺院を出ずにゆっくりと座って休憩するんだ」。夫妻の言葉に従って、床に腰を下ろす。世間話をしていると、家族についての話になった。夫妻の息子3人は進学のため移ったシンガポールでシステムエンジニアとしてそのまま働き始めたという。「本当は自宅でインドのごちそうを作って(子どもたちと一緒に)家族でお祝いしたいところだけど…。もうごちそうはあまり作らずに、明日からは息子たちに会いにシンガポールへ車で向かうんだ」と少し複雑な思いを教えてくれた。

「サロン」と呼ばれる腰巻をした僧侶に果物や野菜などの供物を捧げるヒンズー教徒=海野麻美撮影

 実は、マレーシアでは国民の約7割を占める多数派のマレー系住民を優遇する「ブミプトラ政策」のもと、国立大学への進学や公務員の採用などにおいて、マレー系住民を優遇する措置が長年にわたって取られている。そのため、少数派である中華系やインド系の富裕層を中心に、より良い教育を子息に受けさせる事を目的に海外に留学させることは珍しくない。中にはそのままマレーシアに戻らずに就職してしまう人もいる。結果、夫妻のように離れ離れになる家族が少なからず出てくることになる。

 「あなたにも神のご加護がありますように」。寺院を案内し終えた夫妻が、僧侶から贈られたあふれんばかりのホーリーバジルの束をポリ袋に入れてプレゼントしてくれた。自宅に戻ると、奥さんの「ミントティーのようにして飲むと身も心も清められるのよ」という言葉通り、ホーリーバジルを温かいお湯で煮出してみた。一口含むと、柔らかい、でもかすかな苦みが混ざった複雑な味が広がった。そこにはこの国で少数派としてたくましく生き抜いてきたインド系の人々の思いが詰まっているような気がした。(マレーシア在住ジャーナリスト、海野麻美=共同通信特約)

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