大陸別の王者が集うFIFAクラブワールドカップが12月12日~22日にUAEで開催される。
欧州王者と南米王者が戦ったインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)が現在の形に姿を変えたのは2005年のこと。以来、日本を中心として開催されてきた同大会には、海外クラブに所属しながら参戦した日本人選手がいる。
今回はそんな6人のサムライたちをご紹介しよう。
岩田 卓也
出場年度:2012、2013、2014、2015、2016、2017年
所属クラブ:オークランド・シティ(ニュージーランド)
クラブワールドカップの日本人といえば、何といっても岩田卓也だろう。
地域リーグ時代のFC岐阜を経て海を渡った“魂の左サイドバック”は、今年こそ出場を逃したものの、2012年に初めて出場してから6大会連続で参加した。
2014年には3位という素晴らしい結果を残し、2015年大会に行われたサンフレッチェ広島との一戦では、流血し頭に包帯を巻きながらも戦い続ける姿が見るものの心を打った。
岡山 一成
出場年度:2009年
所属クラブ(当時):浦項スティーラーズ(韓国)
横浜F・マリノスや川崎フロンターレ、柏レイソルなどで活躍した岡山。
2009年に海を渡った彼は、韓国の浦項スティーラーズに加入し1年目でACL優勝を経験。同年12月のクラブワールドカップにも出場し、3位決定戦のアトランテ戦では主将も務めチームの勝利に貢献した。
実は彼は2008年、Jリーグのトライアウトを受けていた。そのわずか1年後には世界一を決める大会のピッチに立っていたのだから、分からないものである。
三浦 知良
出場年度:2005年
所属クラブ(当時):シドニーFC(オーストラリア)
日本サッカー界のパイオニアである我らがキング・カズは、クラブワールドカップの歴史においても先駆者となった。
トヨタカップが実質的にFIFAクラブワールドカップ(当時はFIFAクラブ世界選手権)になった2005年の11月、彼はゲストプレイヤーとしてAリーグのシドニーFCにレンタル移籍。
当時38歳という年齢であったが、同年12月に行われた大会に日本人として初めて出場している。
岩本 輝男
出場年度:2006年
所属クラブ(当時):オークランド・シティ(ニュージーランド)
ファルカン監督時代の日本代表で10番を背負った“テル”こと岩本輝男。
日本サッカー史上に残る左足の持ち主と知られ、ベガルタ仙台時代に記録した「Jリーグ史上最高」とも言われる40mクラスの直接フリーキックは現在では伝説となっている。
その彼は、負傷のため一時は現役から離れていたが2006年にオークランド・シティへと加入し、日本でのクラブワールドカップで2試合に出場した。
結局2敗で大会を終え、岩本は現役を引退。現在ではAKB48の熱狂的ファンとしてTVに取り上げられることも。
本田 圭佑
出場年度:2017年
所属クラブ:パチューカ(MEX)
ミランで失望の時を過ごした本田圭佑が、新たな挑戦の舞台に選んだのはメキシコだった。
メキシコといえば高地であり、またパスサッカーのために運動量を求められる。30歳を越えた彼には必ずしも相応しい場所ではないかと思われた。
だが「クラブワールドカップに出場できる」という事実は大きな魅力の一つであった。望み通り大会に出場を果たすと、チームは準決勝でグレミオに敗れたものの、3位決定戦でアル・ジャジーラを下し3位に輝いている。
本田はこのシーズン個人技の向上にも取り組み、最終的には10ゴール7アシストを記録。土壇場で滑り込んだワールドカップでも存在感を発揮すると、現在はオーストラリアで素晴らしい活躍を見せている。
塩谷 司
出場年度:2012、2015(広島)、2018年
所属クラブ:サンフレッチェ広島、アル・アイン(UAE)
サンフレッチェ広島で2度出場している塩谷は、今回、3度目の出場をアル・アインで迎えることとなった。
同大会を放映する日テレの取材によると、クロアチア人のゾラン・マミッチ監督はディナモ・ザグレブを率いていた頃から塩谷に目を付けていたという。当時は財政事情で手を出せなかったが、潤沢な資金を持つ中東に来たことで塩谷獲得の念願を叶えたらしい。
そんな塩谷は、12日に行われたチーム・ウェリントンとの初戦に左サイドバックで出場。試合は前半だけで0-3になる絶望的な状況に陥ったが、彼のゴールをきっかけに追い付くとPKの末になんとか勝利した。
ちなみに日テレの番組で司会を務める手越祐也さんからは、ゴール後に“侍ポーズ”をお願いされているとのこと。初戦は状況が状況だけに披露できなかったがここからに期待だ。