ルールをつくる習慣づくり[3]問題を解決するヒント

前回は、世の中には見えないところにもさまざまなルールがあって、どのようにルールが成り立っているのか観察するクセをつけましょう、という話をしました。今回は問題を解決するヒントについてお話しします。

「解決できないこと」こそ大きなチャンス

人類は今まで、いくつもの「解決できないと思っていた問題」に対峙し、解決してきました。問題の「仕組み」や「ルール」を分析し、その仕組みを改善したり、新たな仕組みをつくることで問題を解決してきたのです。しかしそれでも、世の中にはまだ解決できない多くの問題があります。たとえば「解決できない問題」=「朝の通勤ラッシュ」という例で考えると、「朝の通勤ラッシュ」は、以下の種類の問題に分けられます。

(1) 解決したいのに解決できない問題 = 朝の満員電車
(2) 解決したいほどの問題ではないので、解決しない問題 = 朝のラッシュの時刻表
(3) 解決する必然性が見つかっていない問題 = 会社通勤していない

(1)は、たとえば朝の満員電車。これは多くの人が解決してほしいと願っているのに、解決できていない問題の例です。一般的に「解決できないこと」と言えば、この(1)を表すことが多いかと思います。

(2)は、たとえば山手線の朝のラッシュ時の時刻表について考えてみましょう。朝のラッシュは、かなりの確率で電車は遅延しますし、矢継ぎ早に来るので、何分後に来るかという情報が必要であっても、何時何分に来るかということは多くの利用者にとっては必要ありません。そういった意味では、駅のホームにある時刻表にラッシュ時の時刻表はなくてもいいのですが、あってもなくてもいいかもと考えられる問題は、そもそも議題に上げる人もいないため、状況は変わらない=解決しません。言い換えれば、「解決方法の仮説はあるけれど、議題に上がることがない重要性の低い問題」とも言えます。

(3)は、(2)より抽象的な課題となります。(2)では「ラッシュ時の時刻表は必要かの結論が出ていない」と言えますが、(3)は「朝の時刻表をなくすべきかどうか?という議題自体を誰も思いついていない状態」と言い換えることができるかもしれません。他の例で言えば、私はゴルフをしないので、どうやったらスコアをよくしたいかというテーマ自体がありません。ゴルフスコアを解決する方法はあるのかもしれませんが、私にとっては解決する必然性がないのです。

「解決方法のヒント」は2や3のなかに隠れている

「解決できない」=「無理」と思われていることの解決方法は、実は前述の(2)や(3)の中に隠れていることが多々あります。

たとえば、私がゴルフをやってみることで「まったくゴルフに興味をもたない人だからこそ出るアイデア」のようなものが出ることもあります。少し脱線しますが、私の友人はカラオケで90点以上を出す歌唱法を編み出したのですが、他の人が聞いても正直上手には聞こえないものです。つまりこの歌唱法は、カラオケで高得点を出すことだけに興味があった彼だからこそ生まれた方法なのです。ゴルフについてもゲームをまったく楽しむことと切り離して考えれば、高スコアを出す方法が生まれるかもしれません。

つまり(2)(3)には、「解決したい」と思って取り組んだ歴史がないので、どんな方法があるかわからない=無限の可能性がある、ということです。ですので、(1)で「解決したい」と思っていても浮かばなかったヒントが、(2)(3)に隠れていることが多いのです。

そして、「解決できない問題」はさらにもうひとつ分けることができます。それは、

(4) 解決しようと試みたものの、解決を諦めたもの

です。しかし、本当に「解決しようと」試みたのか?に疑問をもって、その事象を見てみると、「解決しようとしたけれど」諦めたというようなことも少なくありません。この場合、突き詰めて考えていけば、解決方法が見つかることも少なくありません。

人が無理というものにはヒントがある

解決したい事象に対して、「無理」なのか「不要」なのかを、よく見極めることも大事です。「こういうアイデアがあるから実現したい」と人に相談すると、「無理」という言葉が出てくることがあります。そのときは「無理」であっても、「無理じゃなければ欲しいものなのか」を考えることが重要です。「無理」という言葉が返ってくるものには需要があるヒントなんだ、と考えるとよいでしょう。

私は実際のビジネスにおいて、何度もこの考えに助けられてきました。自分でどうにか解決したい問題があったとき、会社や仲間に「この問題は解決できないか?」と尋ね、ほぼみんなが「無理」だと言えば、「これを解決すればビジネスになる」と確信するのです。実際に解決した際には、誰もやっていないことだったので、大きな市場を開拓できたことが何度もありました。

たとえば、私は「北斗の拳」のアニメを使ってパソコンのタイピングソフトを仲間と企画しました。その企画をもってパソコンソフトの店舗に行くと「大人向けの練習にアニメを使うなんて売れるはずがない。アニメを使った商品は子ども向けのコーナーに置かれてしまうし、そもそも大人がトレーニングするときに、キーボードを叩いたら”アタタタッ!”と叫ぶなんて、そんなふざけた商品が売れるわけがないでしょう!」と、嘲笑され、相手にもされませんでした。

しかし、企画した私たちには「自分たちと同じようにおもしろくトレーニングしたい大人が多いはず」という信念は変わりませんでした。「パソコン商品を売るプロさえ想像できてないものを売れば、誰よりも先に市場がつくれる」と考えたのです。結果は大ヒットし、「大人向けのアニメ商品は売れる」という市場まで生まれるきっかけとなりました。

このときのことを(1)(2)(3)(4)の例でまとめるとすれば、

(1) 「解決したいのに解決できない問題」だったもの
→アニメを使った大人向けトレーニングソフトを市場に出す
(2) 「解決したいほどの問題ではないので解決しない問題」だったもの
→多くの店員は大人がアニメを使って練習したいということを議題に上げる価値もないと思っていた
(3) 「解決する必然性が見つかっていない問題」だったもの
→誰も、こういったジャンルの商品を手がけていなかったので、たとえば価格はいくらにするのが妥当なのか、といった問題があった
(4) 「解決しようと試みたものの解決を諦めたもの」だったもの
→多くのプロたちが「これは売れない」というような意見が多かったため、関連していたスタッフの中には「無理だよ」と言って諦めようとする者も少なくなかった。

(2)は「こんなに欲しがってる人がいる」ということをわかりやすく訴求し、(3)は欲しくなる価格帯において、他のジャンルで少しでも似ているものを探してヒントにしました。(1)を解決するのに役立ったのは(2)(3)に隠れていた問題を解決することだったのです。もちろん(4)で諦めなかったことも重要でした。

「問題を解決する」ためには、問題がどんな構造か分析するクセをつけることが大きなヒントになります。まずは、自分の身の回りに、どのような「まだ解決していない問題」があるか、探してみてはいかがでしょうか。

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