堂林翔太と下水流昂―広島4連覇へのキーマンは“後がなくなりつつある”2人

広島・下水流昴(左)と堂林翔太【写真:荒川祐史】

かつての「プリンス」堂林は「もっともっと打てるようになること」

 大きな新陳代謝が求められる広島にとって、台頭が欠かせない選手。下水流昂と堂林翔太。2人のさらなる進化が4連覇を近づける。

「打つしかない。試合にもっと出れるようになるにはそれしかない。それができていないから、今のような代走や守備固めでしか出られない。スタメン出場もそうだし、レギュラーなんて先の話。もっともっと打てるようになること。それだけですよ」

 11月、季節はすでに秋を迎えていた。宮崎とはいえ強い日差しに照らされるグラウンドから一歩、影に入るとヒンヤリ感じる。堂林は次の練習メニュー消化場所へ向かいベンチ裏を足早に移動していた。額には汗が浮かび、身体中からは湯気も立ち上っている。その表情は険しく、話しかけるのに躊躇してしまうほどのオーラをまとっていた。

「課題は明白、わかっているんですよ。打てなかったら試合に出られないし、長くプレーもできない」

 かつて「プリンス」と呼ばれた面影はない。身体は一回り以上も大きくなり、表情は精悍で怖いくらいだ。

 愛知・中京大中京高時代から全国的に知られた選手。1年春から投手でベンチ入りを果たし、その後2年夏までは野手としてレギュラー出場。2年秋からはエースで4番に君臨し、3年春の甲子園はベスト8入り。そして最後の夏は全国制覇を果たし、同大会では打率.522、12打点、6二塁打と打ちまくった。当時バッテリーを組み、のちにカープでチームメートとなる磯村嘉孝は、「とにかくずば抜けてましたね。投げることも打つことも」と語っている。

 09年ドラフト2位で広島入団。「背番号13」は当時MLBのスター選手だったアレックス・ロドリゲスを目指せ、と大きな期待をかけられた。プロ入り後は2軍で鍛錬を積みながらも、1年目のフレッシュオールスターでは本塁打を放つなど、才能の片鱗を見せつける。そして3年目の12年、「7番・三塁」で1軍開幕を迎え、年間を通じて試合に出てチーム最多の14本塁打。オールスターゲーム出場を果たしオフには野球日本代表「侍ジャパン」にも選出され、当時の野村謙二郎監督から大きな期待を受けて、現役時代につけた「背番号7」を譲り受けた。

 しかし、当時から三振の多さ、得点圏打率の低さが目立ち、守備でも失策が多かった。実質1軍2年目の13年は外野手にも挑戦。試合出場数増加を目指すも、夏には打席での死球で左手を骨折して戦線離脱。その後はレギュラーではなく、代打や守備要員で試合出場を目出す立場となった。

「もともと一本気というか、頑固なところもあるんですよ。見た目は優しい感じですが、そんなことはまったくない。だけどプロ入り以来、出だしは少し良かったけど、それからうまくいっていない。本人としても迷いがあると思う。そういう弱さを打ち破って、自分の信じたことを貫いてほしい。そうすれば結果にも出てくると思う」 

 堂林を常に気にかけ、練習に徹底的に付き合っているのは迎祐一郎打撃コーチ。自身も高校時代42本塁打を放つスラッガーで、99年ドラフト3位でオリックス(当時ブルーウェーブ)入団。3年目の04年にはプロ初本塁打を放つなどレギュラーとして期待されたが、その後は主にバックアップとなる。10年に広島移籍も、14年シーズンでユニフォームを脱いだ。プロ生活15年での本塁打数は2本に終わってしまった。

「もっと頑固になって良い。色々な人からアドバイスを受けるのは良いことだけど、それを全部、受け止めてしまう。だから何が自分に一番適しているのか迷ってしまう。言葉は悪いかもしれないけど、自分に向かないものは聞き流す。それくらいのことをしないと、プロでは生き残っていけない。それは口を酸っぱくして言っています」 

 この秋からは迎コーチとともに打撃フォームのマイナーチェンジにも取り組んでいる。時間の経過とともに形になりつつあり、新シーズンの訪れを待ち望んでいる。

長打力が売りの下水流「あとは確実性を上げること」

 関係者の誰もが認める、チームきってのタフさを誇るのが下水流だ。

「練習だけは広島はどこにも負けません。だからその中でも一番練習してやろうと思っています。とにかく振って振りまくる。特に秋の練習は少しぐらい痛いところがあっても、その後にケアできる時間がある。振ることで新しいことを感じる部分もあるし、さらに強いスイングができるようにやっているだけですよ」

 秋季キャンプ、過酷な振り込み練習をいくらこなしても、下を向かず、疲れたそぶりも見せず次のメニューに挑む。周囲からは「下水流は本当、元気だね」と声をかけられ、それに笑顔で答える姿が日常である。

 下水流は王道とも言えるコースを歩んできた。出身は神奈川県横浜市で横浜高OB。高校1年からベンチ入りし、3年春の選抜大会では4番を打ち全国優勝。同学年には中日の福田永将、2学年上にはロッテ涌井秀章らがいる。進学した青山学院大では2年春と4年秋にベストナイン獲得、通算13本塁打。社会人の名門Hondaを経て12年ドラフト4位で広島入団した。

 プロ入り後は俊足、強肩、強打の外野手として大きな期待をされ、1年目で初安打を記録しCS出場。しかしその後は2軍での生活が主に続く。転機になりそうだったのは16年。交流戦後に1軍で活躍し48試合出場で5本塁打、リーグ優勝にも貢献、さらなる飛躍が望まれた。だが、以降もコンスタントな活躍はできず、印象深い18年7月20日、巨人戦でのサヨナラ本塁打以降も際立った結果は出なかった。

「やっぱり僕の長所は長打力だと思う。昔から遠くへ打球を飛ばすことには、多少自信もあった。プロでもそれで勝負したいので、あとは確実性を上げること。わかっているんですけどね。だからこそサヨナラ本塁打の後が大事だったんですけど……」 

 自身のセールスポイントはよくわかっている。言ってみればそれまでのアマチュア時代は、それだけでも良かったのかもしれない。しかし、プロという最高峰の舞台でカベに阻まれているのも事実である。

「正直、うちの外野陣の層は本当に厚いと思う。そこに割って入るのは本当に難しい。だから一塁の練習もやっている。だから丸が移籍したことは、チームとしては痛いけど、本当にチャンス。僕もそこまで若くないし、レギュラーをつかみとりたい」

2人の活躍は広島にとっても大きなチャンスに

 自身も長距離打者としてプロ入りした迎コーチは、下水流のポテンシャルの高さを認める。

「長打力に関しては本当にすごい。チームでもトップクラスだと思うし、それこそ日本人離れしている。でもそれを活かしきれていない。やはり確実性の部分。本人もそこは自覚しています。本当にもったいない状態が続いている」

 打撃練習ではボールが軽々とフェンスを超えていく。しかも逆方向となるライト方向への飛距離が出るのも特徴的である。 

「なんとなく僕の現役時代と似ているところがある。最初に本塁打を打ったけど、そこから先に進めなかった。本来ならサヨナラ本塁打を打った後に、トントンと打ってほしかった。だから自分の経験など、すべてを伝えてレギュラーを張れるくらいになってほしいんですよ。それができるだけの実力は備わりつつある」

 山本浩二、衣笠祥雄の時代から続く伝統、右打ちの日本人強打者が2人揃った時のカープ強力打線。鈴木誠也という4番の柱が出来上がった今だからこそ、下水流にかかる周囲の期待は大きい。 

 崖っぷちと好機は表裏一体である。崖っぷちの人間は「なんとかしよう……」と必死に物事に取り組む。すると結果につながる可能性が高まることも多い。

 堂林は高卒ながら2位指名、来年が10年目で28歳になる。下水流は社会人から入団し、来年7年目で31歳に。決して若手ではなく、後がなくなりつつある立場。それは本人たちが一番認識しており、その表れが日常の猛練習につながっている。レギュラーを奪取し大ブレークする可能性も大きい。それだけのポテンシャルを秘めている選手だからだ。

 2人の活躍は、広島に取っても大きなチャンス、力となる。新井貴浩が引退し、丸佳浩がチームから去った。しかし、思い出だけを大事にしている時間はない。過去だけにとらわれているものには、輝かしい現在も未来も決して訪れない。4連覇を懸念する声もあるが、この状況は新たな戦力が生まれる大きなチャンス。それはここまでの広島の歴史が証明している。広島東洋カープは、決して立ち止まらない。(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。

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