BLOODEST SAXOPHONE「日本屈指のジャンプ・バンド、結成20周年! テキサス・オースティン録音盤2作品で提示したリズム&ブルースの本懐」

6日間で2作品分の30曲弱を録音

──今回の〈テキサス・オースティン〉プロジェクトはどんな経緯で始まったんですか。

甲田:その前年(2016年)の末に香港公演があって、滞在先のホテルでボーッとしていたら、A&Rの川戸(良徳)君から連絡をもらったんですよ。「来年(2017年)の9月にテキサスを目指しましょう」って。彼が言うには、その年の9月に〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉という野外フェスが向こうであると。ブラサキがテキサスに乗り込んでそのフェスに出演しつつ、年齢の近い現地のシンガーたちと一緒にレコーディングする企画が持ち上がったと。ジュウェル・ブラウンと共演した『ROLLER COASTER BOOGIE』やビッグ・ジェイ・マクニーリーとタッグを組んだ『BLOW BLOW ALL NIGHT LONG』を一緒につくったMr.Daddy-Oレコードが発案した企画で、面白そうだからぜひやろうということになりました。

──5人の〈テキサス・ブルース・レディース〉たちの人選はどのように決めていったんですか。

甲田:Mr.Daddy-Oレコードの日暮泰文さんと高地明さん、A&Rの川戸君、今回のプロデューサーであるダイアルトーン・レコードのエディ・スタウトらと話し合いを重ねていくなかで決めていきました。クリスタル・トーマスの名前は最初から挙がっていましたね。

──結果的に6日間で2作品分の30曲弱を録音したそうですが、渡航前に準備をするだけでも相当な時間と労力が必要だったのでは?

甲田:完全に制作サイドの無茶振りですね(笑)。その先に結成20周年というのもあったし、制作費もかかるし、どうせ行くなら録れるだけ録ってしまおうということになったんです。選曲やアレンジなど、日本でできる限りの準備はもちろんしたんですが、向こうへ行って一から練り上げた曲もあったし、完全につくり込んであった曲でもエディが首を縦に振らないケースもあったんです。そこからまた崩してやり直して…の連続でした。

──オースティンでの怒涛の日々は『I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU』と『IN TEXAS』それぞれのライナーノーツに詳しく記されていますが、リハーサル、ライブ、レコーディングとかなりの過密スケジュールだったんですね。

甲田:大きく分けると前半がライブ、後半がレコーディングでした。とにかく頑張っていたら終わらない作業量だったので、徹底的に楽しむことにしましたね。録りながらアドリブ的要素を常に求められるし、頭の中を空っぽにしておかないと良いものが出てこないので、とことん楽しもうと。1日の終わりに酒を呑んでリフレッシュもしたし、翌日は爽やかな気持ちで郊外にあるスタジオに行ってレコーディングに集中する感じでした。

──現地でのライブは最初から非常に盛り上がったそうですね。

甲田:最初のライブは〈アントンズ〉という老舗のライブハウスで、そこではクリスタル・トーマスと共演したり、ジュウェル・ブラウンとの再演が実現した後にブラサキが単独でやらせてもらったんです。初めてのライブをやりやすいようにエディがそういう段取りにしてくれたんですね。その単独ライブをただ普通にやっても絶対にウケないと思ったので、ステージを飛び降りて、後ろのほうで構えている客に全員「こっちへ来い!」って吹きながら煽ったんですよ。最初から聴く姿勢のない客がいたので、力づくで巻き込んで。結果的にすごく盛り上がりましたけどね。

──ブラサキは〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉のメインステージでハウスバンドを務めたとか。

甲田:〈アントンズ〉の翌日ですね。〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉はエディ主催のフェスで、僕らの演奏に〈テキサス・ブルース・レディース〉の面々が入れ替わり立ち替わり唄う趣向だったんです。前日のライブが効いたのか、「日本からバンドが来てるらしいぞ」みたいな噂が立って客もよく集まって、すごくやりやすかったですね。

──現地でのライブがレコーディングに向けた公開リハーサルにもなった感がありますね。

甲田:結果的にそうなりましたね。ライブ感のあるレコーディングができるようになったので。ただ、ライブでやったのはレコーディングする曲じゃないのがほとんどだったんです。だからライブとレコーディングを合わせると、テキサスで演奏したのは全部で60曲くらいあったと思います。ボーカリストたちの持ち曲と僕らが提案した曲を混ぜると、それくらいありました。ライブでやる曲のリストがエディから来たのは渡航の数日前で、日本ではもうスタジオに入れないから向こうでリハのスケジュールを組んでくれとエディに頼んだんですよ。それで旅の前半は、昼にリハーサル、夜にライブという行程になったんです。

──宿泊先はリハーサルができる宿だったそうですね。

甲田:1900年に建てられたという旧家に民泊しました。そこのリビングを使ってリハーサルをしたんですが、昼間は音を鳴らし放題だったのがありがたかったです。夜になって暗くなると「ちょっと抑えてくれ」と言われるんですけど、それまではドラムでも何でも鳴らし放題でした。

個性豊かな〈テキサス・ブルース・レディース〉

──日本でどれだけ準備を整えても、実際に現地のシンガーたちと顔を合わせないことにはわからないことがたくさんありますよね。

甲田:5人ともシンガーだからと偉ぶるところは一切なかったし、一緒に良いサウンドをつくっていこうという思いが全員にありました。だから作業はすごくやりやすかったし、ある程度こういう感じでいきたいとこっちが事前に考えていたことも現場の状況次第で簡単に捨てることもできましたね。

──『I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU』では5人の素晴らしいシンガーたちが起用されていますが、なかでもクリスタル・トーマスさんの単独歌唱が5曲と最多ですね。これは彼女の歌唱力がいかにずば抜けているかの証明でもあると思うのですが。

甲田:それは必然だったと思います。もともと推しのシンガーでもあったし、歌唱力だけではなく存在感も際立っていたので。

──1曲目の「I'VE GOT A FEELING」を唄っているディアンナ・グリーンリーフさんはドスの効いたパワフルな歌声ですが、クリスタルさんはそれよりもっとフラットで、とてもナチュラルな歌唱法ですよね。

甲田:5人全員の歌を最初に聴いて、ディアンナの歌がジャンル的に一番合うだろうと思ったんですよ。でも実際に合わせてみると、自分たちの感覚としてはクリスタルのほうがしっくりきたんです。もちろんディアンナが悪いわけでは全然なくて。おそらく僕のテナーもかなりがなるので、同じくがなる感じのディアンナよりもクリスタルのほうが相性が良かったような気がします。

──「WALKING THE DOG」や「I DONE DONE IT」を披露しているジェイ・マラーノさんは、伸太郎さんから見てどんなシンガーですか。

甲田:彼女はクールですね。向こうでもかなり人気があって、ヨーロッパ・ツアーをやったりもしてるんです。ものすごくお洒落で、ステージで特にアクションをしなくてもすごく存在感がありますね。ただ立ったまま唄うだけなのに、すごい盛り上がるんですよ。そういうカリスマ的要素を兼ね備えたシンガーですね。

──「FEELING ALRIGHT」や「THE GRAPE VINE」で息の合った掛け合いを聴かせているローレン・セルヴァンテスさんとアンジェラ・ミラーさんは?

甲田:〈ソウル・サポーターズ〉というユニットをやっている2人ですね。最高ですよ。とにかく歌が上手いし、曲によってメインとハモりが入れ替わるんですけど、そのハモりがとにかく素晴らしい。ただ最初、向こうに行くまで彼女たちが何者なのかまったく知らされてなかったんですよ。「この曲は〈ソウル・サポーターズ〉に唄ってもらおう」とエディから連絡が来ても、音源が送られてくるわけでもないから何のことだか全然わからなくて。リハーサルの初日、僕らの宿にローレンとアンジェラが来ていて、さっきまでウチのメンバーが寝ていたソファーに2人で座ってるんですよ。この人たちは誰なんだ? と思ったら、それが〈ソウル・サポーターズ〉だった(笑)。だけどいざ唄い出したら抜群で、エディが2人に唄わせたい意図がよくわかりました。クリスタルの次に唄っている曲が多いのも必然だったと思います。

──ディアンナ・グリーンリーフさんの単独歌唱は「I'VE GOT A FEELING」と「I GOT SUMPIN' FOR YOU」だけなのでもう少し聴きたかった気もしますが、パワフルな歌声以外の彼女の特徴はどんなところですか。

甲田:ライブのパフォーマンスが面白いんですよ。自分がずんぐりむっくりな体型なのを理解していて、その体型であえて飛び跳ねてコミカルな動きをするんですね。それでいて歌をしっかりと聴かせるプロフェッショナルなんです。

──6日間のレコーディングはどんな感じで進めていったんですか。基本はいつも通り一発録りだったと思いますが。

甲田:基本は一発で、最初は5人のシンガーとの曲をメインに録っていきました。というのも、ヒューストンからオースティンに来ているシンガーが多くて、宿の関係もあって彼女たちのスケジュールを優先したんです。シンガーと一緒に「せーの!」で録って、歌を直せるところは直す感じだったんですけど、どういうわけか、エディが「ホーンだけは直せない」と言うんです。だけどリズム・セクションは直せるんですよ。どのパートでも全員が直せないならわかるんですけど、ホーンだけは絶対に直せないというのはどういうことなんだ? って(笑)。おそらくはホーンがメインで、ホーンがちゃんと録れたらOKだとエディが考えていたんでしょうね。その気持ち自体は嬉しかったんですけど、リスキーな録り方だし、ホーンにとってはものすごい緊張感のあるレコーディングでした。ただ、スタジオの中はパーテーションが仕切りとしてあるだけで、シンガーの顔も見えたし、アイコンタクトをしながら演奏できたのは良かったです。

人力でフェイドアウトするのがテキサス・スタイル?

──なぜかフェイドアウトまで人力で演奏させられたという話が最高に笑えたのですが(笑)。

甲田:フェイドアウトする曲になるとエディがスタジオの中に入ってきて、体全体を使ってだんだん小さくなるポーズを取って僕らに指示をするんですよ。それがあまりにおかしくて、フェイドアウトの曲になると扉のほうを見れなくなりましたね。エディが来るぞっていうのがわかるので(笑)。時間がないんだから、そんなの後で機械でやってくれよと思いましたけど、そこはなぜか譲らなかったんです。

──フェーダーを下げるだけじゃダメだったんですかね?

甲田:『IN TEXAS』に入っている「THAT MELLOW SAXOPHONE」はフェーダーを下げるつもりで録ったんですけど、エディは最後にバズっと切れたままのテイクを使ったんですよ。だからやっぱりフェイドアウトは人力じゃないとダメなのかもしれません。それがテキサス・スタイルなのかなと(笑)。ただ、ビッグ・ジェイと共演したライブ盤を聴き直してみると、ビッグ・ジェイもやっぱり人力でフェイドアウトしているんですよ。リズム&ブルースの世界ではそういうのがひとつのマナーとしてあるんだろうなと思って。

──ブラサキの演奏が気に入らないと、エディさんはスタジオ内に乗り込んで「More energy!!」と発破をかけたそうですね。

甲田:そう言われれて納得することが多かったですね。「いや、今のは良かっただろ?」と納得できない時もありましたけど、エディのジャッジは的確でした。彼が理解しているブラサキのポテンシャルはまだまだこんなもんじゃないっていう気持ちの表れだったと思うし、そこは嬉しかったです。ブラサキが録りたい音とエディが録りたい音は共通していると認識もできましたし。

──ジュウェル・ブラウンさんとの共演盤『ROLLER COASTER BOOGIE』を超える作品をつくらなければいけないプレッシャーがエディさんにあったからこその「More energy!!」だったんでしょうね。

甲田:そのプレッシャーはエディにも僕らにもありましたけど、エディは僕ら以上にプレッシャーを感じていたと思います。時間の縛りもあったし、限られた期間内に全部を録りきらなくちゃいけなかったし、ブラサキをハッピーにしてやらなくちゃいけないという気持ちもあったと思います。その中で何とかして最高の音源を録りきるぞという緊迫感がエディには常にありましたね。もちろん僕らにもありましたけど。

──『I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU』の収録曲の中で目を引くのはやはり山下達郎さんのカバー「YOUR EYES」だと思うのですが、この選曲は誰のアイディアだったんですか。

甲田:達郎さんの曲をカバーするというのは、メンバーのアイディアとしてもあったのですが、この曲に関しては制作サイドからですね。ジュウェル・ブラウンとの作品『ROLLER COASTER BOOGIE』で言えば「買物ブギー」みたいな位置づけでリードにしようと考えた曲です。意外な選曲かもしれないけど良い出来だと思うし、クリスタルの歌唱にもすごく合っていると思います。

──エディさんやクリスタルさんは「YOUR EYES」の原曲を聴いてどう感じていたのでしょう?

甲田:直接訊いたわけじゃないのでわかりませんけど、エディはそういう話題になりそうな曲は必要だと判断していましたね。彼はそういうセールス的なポイントもちゃんと理解しているんです。

──〈テキサス・ブルース・レディース〉の5人がリレーのように唄い継ぐ曲ならば、「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」のような有名曲が良いということだったんでしょうか。

甲田:それはエディの確固たる考えで、今回のアルバムにはどうしても「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」が必要だと思っていたみたいですね。僕自身はそこまで重要な曲だと思っていなかったんですが、エディの中では必ず面白いことになると考えていたそうです。向こうに行って5人のシンガーたちとリハーサルをやって、ようやく納得できましたけどね。

やることは日本でもテキサスでも一緒

──自分たちと年齢の近いシンガーとのフィーリングやフィット感は、ジュウェル・ブラウンさんのような大御所とは違いましたか。

甲田:やっぱりジュウェルには気を遣う部分がありましたからね。ジュウェルにしてもビッグ・ジェイにしてもレジェンドなので敬意を表していましたし、彼らがこうだと言えばそれは絶対だったので、そこは合わせるしかありませんでした。それに比べて今回セッションした5人は日本でリハスタに入るような感覚でお互いに意見を言い合えたし、こちらも気持ち良く演奏ができましたね。

──思惑通りに良いテイクが録れた曲はどのあたりでしょう?

甲田:ディアンナとやった「I'VE GOT A FEELING」と「I GOT SUMPIN' FOR YOU」、〈ソウル・サポーターズ〉とやった「I'LL BE THERE」、ジェイ・マラーノとやった「WALKING THE DOG」、7インチのカップリングにもなった「THE GRAPE VINE」あたりはこっちの思惑通りにやれましたね。ノリの良いリズム&ブルース・ナンバーは〈ソウル・サポーターズ〉の歌がハマったと思います。

──逆に、予想外に上手くいった曲を挙げると?

甲田:「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」もそうですし、「FEELING ALRIGHT」は特にそんな感じでした。

──「FEELING ALRIGHT」は意外な選曲でしたね。トラフィックの曲をブラサキがやるとは夢にも思いませんでしたが、これが実に素晴らしいテイクで。

甲田:あの曲が候補に挙がった時、僕らはまったく乗り気じゃなかったんですよ。ところが実際にやってみたらすごく良かった。〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉で披露した時もすごい盛り上がりましたからね。最初はどう落とし込めば良いのかまったく想像がつかなくて、やるのはどうかなと思ったんですが、人の言うことは聞いてみるものだなと思いました(笑)。

──同じロック系の曲で言えば、ジャニス・ジョプリンの「ONE GOOD MAN」はやってみていかがでしたか。

甲田:あれはもともとライブでやるための曲で、収録する予定がなかったんですよ。

──ジャニスがテキサス出身だからやることになったとか?

甲田:クリスタルの持ち曲だったんです。オリジナルは典型的なブルースだからやりませんか? と言われて、向こうでアレンジして、早速ライブでやることになりました。

──臨機応変にその場で音合わせができてしまうのが単純にすごいと思うのですが。

甲田:やれちゃうものなんですよね。音だけでしか会話ができないし、言葉が通じなくても音を出せばわかり合えますし。リハーサルで完成させていく曲もありますけど、「ONE GOOD MAN」は現地のラジオ局のスタジオ・ライブをやって完成した気がしますね。そのライブを観たエディが「『ONE GOOD MAN』を録らないか?」と提案してきたので一応録音してみたんですが、収録する予定はなかったんです。最終的に何を収録するかの段階で、「いや、これは入れるでしょ?」みたいな感じになりまして。

──現地のシンガーたちとセッションして学べたのはどんなことですか。

甲田:ライブもレコーディングも、そこに至るリハーサルまでも含めて、いつもと一緒だなと思いました。ブラサキが普段からすごく特殊な録り方をしているからかもしれませんが、やることは日本でもテキサスでも一緒なんだなと。だから向こうでも気がラクになったし、ニュートラルでいられれば言葉の壁を超えてセッションできるんだなと強く思いましたね。レコーディングに関しては強烈な仕切りを見せたエディの存在が大きいですけどね。

──『IN TEXAS』のほうは新曲やセルフカバー、時代を超えた名曲のカバーを収録した単独名義の作品で、『I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU』よりもリラックスして聴ける印象を受けましたが。

甲田:レコーディングの後半でやった曲が多いので、だいぶ環境に慣れてきたのもあるかもしれませんね。ルイ・ジョーダンの「RUN JOE」のように引き続き〈ソウル・サポーターズ〉に参加してもらった曲もあるんですが、やっぱりあの2人はいいですね。リズム&ブルースのツボをよく理解しているし、実は曲ごとに2人で相談して一生懸命考えて、かなり緻密に唄い分けをしているんです。エディが「これは〈ソウル・サポーターズ〉に任せよう」とよく話していて、それはとても納得できました。ちなみに言うと、「RUN JOE」はブラサキ側からのアイディアで、『I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU』のほうに入れるつもりだったんですが、アルバムにちょっとハマらないとエディが判断して『IN TEXAS』に入れることになったんです。

“ヤングコーン”を名乗ることになった理由

──ストレイ・キャッツのカバーでも知られる「THAT MELLOW SAXOPHONE」はソウルマン・サム・エヴァンスさんがボーカルで参加していますが、これは伸太郎さんとカズ・カザノフさんの日米テナー対決も楽しめるし、武骨さと猥雑さが極まった名演で、本作でも屈指の出来ですね。

甲田:そう言ってもらえると嬉しいですね。カズ・カザノフはテキサスで活躍しているテナー・サックス奏者で、アルバート・コリンズやジュウェル・ブラウンのバックを務めてきた凄腕なんです。彼ももちろん〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉に出演していて、僕らの音が止んでいる時に向こうのほうから爆音のテナー・サックスが聴こえてきて、あれは間違いなくカズが出している音だなと思いました。その時はまだ彼と対面していなかったんですけどね。スタジオにカズが来た時、最初はちょっと気難しい人かなと思ったんですけど、一緒に音を出してからはお互いを理解し合えて、すごく仲良くなりました。彼はナイス・ガイですよ。

──ソウルマン・サム・エヴァンスさんはどんな人なんですか。

甲田:レコーディングの数日前、何かのパーティーでサムが唄っているのを観て、「このおっさん、すげぇな!」と思って。とにかくものすごい存在感だったんです。ステージが終わった後にサムと話す機会があって、その時に「今度おまえらのスタジオに行くからよろしくな」と言われたんですよ。「『THAT MELLOW SAXOPHONE』を唄うのは俺だ」って。そんなこと初耳で、びっくりしましたね。彼とのセッションもすごく楽しかったです。

──「THAT MELLOW SAXOPHONE」が日米テナー対決なら「COCKROACH RUN」は日米ギター対決で、Shujiさんとジョニー・モエラーさんのバトルが大きな聴き所ですね。

甲田:ジョニーはモエラー・ブラザーズというテキサスで人気のある3ピース・バンドのギター&ボーカルで、テキサスへ行く前から共演することが決まっていて、「COCKROACH RUN」は向こうからのリクエスト曲だったんです。レコーディングの初日からずっと一緒にやっていたニック・コノリーというキーボード奏者がいて、彼がこの曲をやる時に「頭からかまそうぜ!」と言って、その言葉で僕は一気にスイッチが入ったんです。おかげでかなり燃えました。ジョニーのギターも素晴らしいし、いつかモエラー・ブラザーズとブラサキでツアーを一緒に回れたら面白いだろうなと思いました。

──ブラサキのセルフカバーを収録したのは、結成20周年記念アルバムであることを意識した部分もありますか。

甲田:そうですね。キラキラした部分を再録しようと思って。とにかくやる曲が多くてなかなか新曲を入れられなかったんですけど、僕は今回のために3曲書き上げて、他の曲とのバランスを考えて「BLUE CORN」を入れたんです。あと、トロンボーンのCohは「LATE SUMMER IN AUSTIN」を、ギターのShujiは「SOMETIME AGAIN」をそれぞれ書いてきて。新曲のアレンジに関しては向こうに行ってから固めました。

──「BLUE CORN」は渡航前の伸太郎さんがテキサスをイメージして書かれたそうですね。

甲田:まだ見ぬテキサスという地を思って書きました。テキサスに所縁のある映画を見たり、大陸感のある小説を読んだりしてイメージを絞り出しましたね。

──ちょっとメランコリックな雰囲気があるのは、ライ・クーダーが音楽を担当した『パリ、テキサス』の影響もありますか。

甲田:『パリ、テキサス』は一番最初に観ました。あの映画の冒頭の荒野をさまよう孤独感、漠然とした大陸感、荒野の岩肌のイメージはだいぶ影響を受けたと思います。

──古くからのファンにとって「走れヤングコーン」は嬉しい再録だと思いますが、伸太郎さんはそもそもどんな経緯で“ヤングコーン”を名乗ることになったんですか。

甲田:当時、僕とCohがラーメンにハマっていて、あるとき食べたラーメンの具になぜかヤングコーンが入っていたんです。それがものすごい異物感で、しばらくジッと見ても慣れなかったんですよ。その翌日にメンバーに「昨日食べたラーメンにどういうわけかヤングコーンがのっててさぁ…」と話して、それがすべての始まりですね。たしか名古屋のライブだったと思うんですけど、「テナー・サックスの甲田“ヤングコーン”伸太郎です!」と挨拶したらそこそこウケたんですよ。自分としては2、3カ月くらい経ったら外すつもりだったのに、それを察したメンバーがヤングコーンとかコーンの付く曲をたくさんつくってくるようになって外せなくなってしまって(笑)。最初の1、2年は嫌でしょうがなかったけど、今はすっかり愛着がありますね。テキサスでもヤングコーンが力を発揮して、覚えやすい名前だからなのか、客が「ヤングコーン! ヤングコーン!」と連呼するんですよ。未熟なうちに摘み取ったトウモロコシという決して格好いい言葉じゃないのに、ここまで来るともう絶対に外せませんね(笑)。

テキサスに行くならイリノイ・ジャケーの曲をやりたかった

──バードレッグさんがボーカルを取った「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」も「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」と同様にベタな選曲ですが、これもエディさんによる采配だったんですか。

甲田:〈イーストサイド・キングス・フェスティバル〉に出演した時、楽器を置いておく場所がなかったんですよ。それで仕方なくサックスをクビからぶさ下げて休憩したんですが、他の会場へ行こうと思って一番盛り上がっていそうなバーの扉を開けた瞬間、汗だくで飛び回りながらブルースを唄っているバードレッグと目が合ったんです。で、向こうが「来いよ!」とケンカを売ってきたんですよ。ケンカと言っても、もちろんブルース・ハープとテナー・サックスのセッション・バトルです。曲が終わらないうちにハグをして出ていったんですけどね。そんなことがあった後、エディが「バードレッグをスタジオに呼ぼう」と提案してきたんです。エディがバードレッグのバンドのベースを弾いているのもあって。それでバードレッグと一緒に「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」と「ONE SCOTCH, ONE BOURBON, ONE BEER」の2曲を録ったんですけど、よりメジャーなほうがいいということで前者を選んだんです。バードレッグは70歳を過ぎてますけど相当ヒップな人で、僕が彼のライブに飛び入りしてハグした後、唄いながら客席の白人の女の子にまたがっていましたね(笑)。

──ブラサキのライブの定番曲である「PORK CHOP CHICK」を今回初めてレコーディングしたのは、20周年記念盤を意識してのことですか。

甲田:今まで一度も録ってなかったし、一時期はライブでしかやらない曲という位置付けだったんですけど、そんなこともすっかり忘れていて。今回、選曲するにあたって「PORK CHOP CHICK」を入れたほうがいいんじゃないかという話がブラサキ内で出て、じゃあやろうかと。エディに曲を送ったら「これはいい! ぜひやろう!」という返事もあったので。

──いま冷静に今回の2作品を振り返ってみて、率直にどんなことを感じますか。

甲田:録っていた時の感覚そのままがパッケージされている気がします。ものすごい過密スケジュールではあったんですけど、演奏しているあいだはとても楽しかったし、その場の状況次第でやる曲を急遽変えるのも「どんどん来い!」と思ったし、いま自分の部屋でこの2作品を聴くとあの時の記憶が鮮烈に蘇りますね。

──伸太郎さんのライナーノーツによると、エディさんがなかなかOKを出さなかった曲があったそうですね。

甲田:『IN TEXAS』に入れた「BLUES FROM LOUISIANA」ですね。テキサス・テナーの代表格であるイリノイ・ジャケーの曲で、僕らがどうしても録りたかったんです。以前、ジャケーがニューヨークのセントラル・パークのレストランで1カ月間ライブをやったことがあって、僕はそれを観に行ったことがあるんです。どうしてもジャケーと話がしたくて、終演後に無理やり押しかけたら彼が奥さんやマネージャーと一緒に食事をしていたんです。それで「食事中に申し訳ないけど、俺のテナーを聴いてくれ!」と日本語で話して、その場でひざまずいて演奏したんですよ。彼がライオネル・ハンプトン楽団に在籍していた時、スターダムにのしあがったきっかけになった「FLYING HOME」という曲のソロを吹いて。そしたらジャケーが持っていたナイフとフォークをテーブルにガーン!と叩きつけて、僕の顔にグッと近づいて、目の奥をジッと見られながら吹ききったんですよ。吹き終わるとジャケーはすごく満足そうで、「おまえは何を言ってるのか全然わからないけど、言いたいことはわかったよ」と言ってくれて、食事をしながら1時間くらいずっといろんな話をしてくれたんです。そんな経験もあったので、テキサスに行くなら必ず「BLUES FROM LOUISIANA」をやりたかったんですよね。

──ところがなかなかOKが出なかった。

甲田:すごくタフな曲で、ハードルが高いんですよ。何度やってもOKが出ず、これをまた最初からやるのか…と歯がゆい思いをしました。それを見かねたエディがメンバー全員分のビールとテキーラを持ってきて、「おい、ガソリンを入れろよ!」と言うんです。僕らをハッピーな気持ちにしたい一心だったんですね。ただ僕はアルコールを口にはせず、「次で決めるから向こうで待ってろ!」とエディに言ったんです。それで何とか演奏をキメて、「ヘーイ! ブラッデスト・ガーイズ! 完成したぜ!」とエディがスタジオの中に飛び込んできたんです。その時はもうへたり込むしかなくて、何も出てこなかったですね。

ビッグ・ジェイ・マクニーリーがつないだ縁

──今回の〈テキサス・オースティン〉プロジェクトはジュウェル・ブラウンさんとの共演盤からの流れだったと思うのですが、もっと遡ればブラサキが2012年にビッグ・ジェイ・マクニーリーさんを招聘したことがすべての始まりだったように感じますね。

甲田:それは間違いないですね。『ROLLER COASTER BOOGIE』を日本で録った時はジュウェル・ブラウン側のプロデューサーとしてエディがやって来たし、これまでのいろんな点が一本の線として結ばれてきたんです。その線の始まりはビッグ・ジェイが与えてくれたもので、彼と携わった人はみな幸せになるんですよ。最初にビッグ・ジェイを日本に呼んだ時、別れ際に「おまえらのCDと英語の資料を俺に送れ。俺の署名付きでアメリカじゅうにバラまいてやるから」と言われたんです。彼はおべっかを言わない人なので、僕はそこで初めて認められたと実感したんですね。それ以降、ビッグ・ジェイと関わってきたことがその後の展開につながっているんですよ。今年の6月にインディアナ州の〈エルクハート・ジャズ・フェスティバル〉に招かれてライブをやったんですが、それもその主催者がビッグ・ジェイの大ファンで、日本にビッグ・ジェイを呼んでライブをやったバンドがいると知ってブラサキのホームページに連絡してきたんです。

──まさにビッグ・ジェイがつないだ縁ですね。

甲田:ビッグ・ジェイの風貌には似合わないけど、彼の通った後には綺麗な花が咲き乱れるみたいなイメージがあるんです。実際にそういう人がいるんだなと思ったし、僕には彼が『グリーンマイル』に出てくる不思議な力を持った死刑囚のように思えますね。ブラサキがビッグ・ジェイと共演したことで吹いた追い風はものすごく大きなものです。

──そのビッグ・ジェイも今年(2018年)の9月に亡くなってしまって…。

甲田:すごく残念だし、寂しいですね。できればもう一度、彼の住むロスで会いたかった。来年の1月に渋谷のクアトロでやるビッグ・ジェイのトリビュート・ライブは、僕らなりの恩返しですね。彼はチヤホヤされるのが好きだったし、亡くなった後も一人でも多くの人にその存在を知ってもらいたいだろうなと思ったので、みんなでライブをやってもうひと盛り上がりして、賑やかにビッグ・ジェイを送り出したいんです。

──近年のワールドワイドな活動展開が続いたことで、バンドの意識が変わってきたところはありますか。

甲田:「On Guitar!」とメンバー紹介する時の発音が多少良くなったくらいですかね(笑)。あと、よくライブをやるようになった香港で、道でぶつかりそうになった人に「Sorry!」と言うようになったり(笑)。まぁそれは冗談ですけど、さっきも話した通り、〈テキサス・ブルース・レディース〉と共演してもみんな基本は一緒だなと理解できたのは良かったです。もちろん英語はもっと勉強しなくちゃいけないけど、それ以前のフィーリングの部分をちょっとずつ吸収できている気がしますね。それと、海外のミュージシャンやスタッフと渡り合う上で重要なのは、意地でも対等であるべきということ。テキサスへ行ってよくわかりましたが、日本人を見下す人は一定数いるけど、僕はそういう対応にすべて毅然とした態度を貫きました。「ふざけんな、話があるならおまえのほうから来いよ!」みたいな感じで。そうすると、いざレコーディングやリハーサルで意見を言う時に説得力が増すんです。別に威張るとかそういうことではなく、英語圏で意地でも対等な関係性を貫く気構えは英語を学ぶ以上に重要だと思いますね。

──ビッグ・ジェイからもらったルーツ・ミュージックの種子を育てて花を咲かせていく使命がブラサキにはありますよね。

甲田:いろんなものをビッグ・ジェイからもらったし、自分たちなりに着実に花を咲かせてきた自負はあります。今回の2作品を録り終えたのを区切りにやめたメンバーもいますけど、今のブラサキは間違いなくパワーアップしているし、僕はブラサキをもっとデカいバンドにしていくつもりだし、まだまだこれからですよ。それに、Mr.Daddy-Oレコードの日暮さんと高地さん、A&Rの川戸君、ダイアルトーン・レコードのエディといった協力者の存在も今のブラサキには大きいですね。何をやるにもまわりに協力を仰げないこと、まわりに納得してもらえないことはダメだし、お互いに全力で取り組めることをやるべきなんです。近年のブラサキがやってきたのはそういう手のかかるプロジェクトですが、もっともっと大きくしていく必要があります。いま着手していることを深く広く、丁寧に信頼関係を築きながら国内外問わずバンドを続けたいですね。この20年、ずっと僕らを応援してきてくれた人たちが誇らしくなれるようなバンドになっていきたいです。

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