中国ウイグル自治区「100万人拘束」か トルコで亡命者から実態探る

拘束されたとされる母と妻や、行方不明の2人の子どもの写真を掲げるアブドゥルラフマン・ハサンさん=11月、トルコ・イスタンブール(共同)

 中国新疆ウイグル自治区で、当局が少数民族ウイグル族らを不当に多数拘束しているとの批判が国際的に高まっている。テロ対策名目による拘束者数は100万人以上に上り、拷問も行われているとの指摘もある。民族・宗教的に近いウイグル族を多数受け入れているトルコで亡命した人々を取材し、実態を探った。(イスタンブール、カイセリ共同=吉田昌樹)

 ▽「24時間尋問」

 ウイグル族のカザフスタン人女性実業家、ギュルバハル・ジャリロワさん(54)は今年9月まで1年以上、自治区の収容所に拘束されていたと証言、「手足を縛られ24時間尋問された」などと過酷な実態を明かした。

 カザフ南部アルマトイを拠点に長年、自治区に行き来して貿易の仕事をしていたが、昨年5月、自治区の区都ウルムチ市で突然、拘束された。知らない会社への送金を認めるよう迫られ、拒むと“再教育”用の収容キャンプに連行。少女から高齢女性まで三十数人いる窓のない狭い部屋に収容された。

 食事は1日3度あるが肉はなく粗末で、体重が激減。ノミもおり、髪を切られた。私語は禁止で、見つかると罰として鉄の重りを足に付けられた。3カ月に1回程度、連れ出されて尋問を受けたが、手足を鎖で結ばれ、頭を覆われた状態で24時間続くこともあったという。「中国共産党の歌を覚えさせられた」とも振り返る。

中国当局に両手を縛られ尋問を受けた際の様子を説明するギュルバハル・ジャリロワさん=11月、イスタンブール(共同)

 部屋に戻った他の収容者の体にあざなど暴行の痕があったのも見た。また「定期的に注射を打たれたりカプセルをのまされたりした」と明かし、鎮静剤の無断使用も疑っている。

 今年9月に突然「無罪と分かった」と釈放され、カザフに帰国。その後、数回にわたり「何もしゃべるな」と匿名の脅迫電話を受けたため、トルコ・イスタンブールに逃れた。「中国政府を許せない」と訴える。

 ▽拘束家族「いっそ殺して」

 自治区に残した家族と連絡が取れなくなったと証言する亡命ウイグル族の人も多い。

 自治区カシュガル地区で貿易業を営んでいたアブドゥルラフマン・ハサンさん(43)は昨年、キルギス経由でトルコに亡命した。イスラム教徒が大半のウイグル族を、中国当局が次々と拘束。自分は政治や宗教活動に関わりがなかったが、危険が迫ったと感じた。だがその後、カシュガルに残した高齢の母や妻(22)を含む親族10人以上が拘束されたと人づてに知った。

 収容キャンプの食事は粗末で虐待もあり、死者が出ているとも聞いた。息子(4)と娘(2)の行方は分からない。子ども用のキャンプもあると聞く。現在イスタンブールで暮らすハサンさんは「中国政府が家族を殺してくれれば、みんなこれ以上苦しまなくて済む」とまで話す。家族が解放されなければ自身も出頭する覚悟だという。

 カシュガル地区出身で、トルコ中部カイセリで亡命生活を送るメフディ・オメル氏(63)も、自治区に残した妻や子どもらと約3年前から連絡が取れなくなったと証言した。「家族が外国にいるウイグル人は全て拘束されたようだ」と指摘し、「キャンプ送りになった家族をいっそ殺してくれ。死は彼らの救いだ」と語気を強める。

連絡が取れなくなった家族の写真を持つメフディ・オメル氏=11月26日、トルコ中部カイセリ(共同)

 ▽「空前の弾圧」と米議会委

 自治区では2009年にウルムチで大規模な暴動が発生、約200人が死亡した。事件後、当局はテロ対策名目でウイグル族への抑圧を強化したとされる。国連人種差別撤廃委員会は8月、自治区で推定数万人から100万人以上のウイグル族らが不当拘束されたとの報告が寄せられたと懸念を示し、思想改造用の施設が存在する可能性にも言及した。

 米議会の「中国に関する議会・政府委員会」も10月公表の報告書で、中国当局がウイグル自治区で「空前の弾圧」を行っていると非難し、インターネット管理も強化していると批判した。一方、中国政府は「恣意(しい)的な拘束はない」と否定している。

 これに対し、トルコの亡命ウイグル族組織幹部セイット・トゥムチュルク氏(54)は、数年前から中国当局がウイグル族収容施設を増設してきたと主張する。弾圧強化の裏に、習近平国家主席が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」のルート上に位置する自治区を、完全な統制下に置く狙いがあると指摘。「中国はウイグル族を根絶しようとしている」と非難する。

トルコ中部カイセリで取材に答える亡命ウイグル族組織幹部セイット・トゥムチュルク氏(共同)

 カイセリで2013年から亡命生活を送るウイグル族のトゥルスン・ムハメトさん(42)は、約20年前に自治区で一時拘束された経験があると証言した。理由は「ちゃんと礼拝をしていたため」で、施設で暴行や電気ショックも受けたと語った。

 釈放されたが、ムスリムとして自治区で暮らすのは無理との思いが募った。密航業者に大金を払い、ベトナムやマレーシアなどを経由して亡命。費用は家を売るなどして捻出し、妻子も合流できた。しかし自治区に残る兄弟らと「連絡が取れない。権利を守りたいだけなのにテロリスト扱いだ」と嘆く。

 12月10日で、人間の自由や権利をうたった世界人権宣言の採択から70年となった。宣言13条は「全て人は自国に帰る権利を有する」と記す。ムハメトさんらは「命の危険があり無理と分かっているが、故郷に戻り自由に生きたい」と強調した。

亡命先のトルコ中部カイセリで取材に答えるトゥルスン・ムハメトさん(共同)

【関連記事】ウイグル、憎しみ「限界」 亡命組織のカーディル主席

© 一般社団法人共同通信社