「千里ジャズ」という音楽を
日本でシンガーソングライターとしてデビューして今年は35周年、そして来米から10年が経った。8月にリリースしたジャズアルバム「Boys & Girls」は、日本での自身のヒットソングのジャズアレンジ曲を収録した、「トランジッションであり、はじまりのアルバム」だと捉えている。
これまで米国でのライブで、「Rain」など日本でのヒットソングをアレンジして弾くことがあったが、いつも好評だった。「立ち上がって、拍手や掛け声を送ってくれた。そのポジティブなエネルギーを体感すると、(観客が)信じてくれる光に向かって進むことが大事だと思った。だから自分が作ったポップを新しいスタンダードに翻訳してみようと。『Pop meets Jazz』だね」
日本で名声を得ながら、47歳でジャズを学ぶために留学。「このまま仕事を続けていては、『ジャズの謎を解く』ことができない。もう後がないと、思って来ました。10年後の今は想像していなかった」
そうした経緯もあって、「かたくなに信じるジャズ」にこだわった。だがライブなどで演奏すればするほど、場所、人によって、いろいろなジャズの捉え方があることも知る。「うつむいて、少し禁欲的に、ひたすら謙虚に歩み続けなくては、という気持ちがどこかにあった。それも必要だけれども、世界は思ってるよりも広くて、明るく、楽しいんだと気付いた」
日本でやってきたことと今が交差する時がいつかは来る予感はあったという。ジャズではクインテット、トリオ、ビッグバンド、ボーカルと一巡して、ソロの演奏をメーンにしていた今年は自由がきく。街を歩くとエイティーズが面白がられている「匂い」も感じられる。だから、このタイミングだった。今年1月から自身の過去と向き合い始める。最初はジャズに寄り掛かり過ぎ、なかなか納得できるものが作れなかった。あるとき、「モーダル(旋法)にやるより、曲が持つ明快さを残した方がいい」という共同プロデューサーの一言で目からうろこが落ちたという。
日本でポップを作っていた人物が今はジャズを奏でている。それは誰もやっていない、やれないことでもあるとも気付く。「自分が生きて作ったものを名刺として出さなくて何がアイデンティティーだって思った。でもその曲を米国で問うわけで、相当プレッシャーも感じた」
でも、緊張を超えたワクワクがあることも知っている。ポップで経験したそのカタルシスを、今ジャズで経験している。
「『君は何ジャズなの?』『僕のは千里ジャズ』『千里ジャズって?』『こういうことです』と言えるジェム(宝物)になるアルバムを作れた。違う言語、音楽で笑ってくれて、涙を流してくれて、最後はブラボーっていってもらえる。デビューアルバムは『WAKUWAKU』というタイトルだったけど、そのワクワクをまだ見つけようとしているんだ」