被災地でのお言葉

 過去にない、という意味の「未曽有」が幾度となく使われた。大火砕流で著しい被害のあった1991(平成3)年、天皇陛下が詠まれた一首がある。〈人々の年月(としつき)かけて作り来しなりはひの地に灰厚く積む〉▲積もる灰の下に「生業(なりわい)の地」が埋もれ、生活を営んだ歳月が埋もれている。一首に深い心痛がこもるのは、雲仙・普賢岳災害の被災地に足を運ばれたからに違いない▲その年の7月だった。島原半島の避難所で、被災者の座る前に、床に膝をついて励ましの言葉を掛ける天皇陛下、皇后さまの姿を記憶する方も多いだろう。災害のさなかに、被災者と同じ目線で言葉を交わす。天皇制の歴史の中でかつてないことだった▲きのうの85歳の誕生日に先立つ記者会見では、在位中に心に残ることとして、多発した自然災害を挙げられた。そこへ進んで足を運び、言葉を「掛ける」のではなく「交わす」。始まりは普賢岳災害だったのを思い出す▲一昨年の熊本地震の被災地訪問を皇后さまが詠んでいる。〈ためらひつつさあれども行く傍(かたは)らに立たむと君のひたに思(おぼ)せば〉。いったい何ができるのか、ためらいながら「人々の傍らに」と赴く陛下の心に思いを致している▲被災地を思えばこその心痛と、葛藤と。普賢岳災害の避難所でのワイシャツと腕まくり姿が浮かぶ。(徹)

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